Sunday, July 10, 2011

給食の品質改善をもとめる意見書

 [漢字かなまじり]
  東日本入管センター(茨城県牛久市)に収容されている人たちが、入管センターあてに連名で提出した「意見書」を紹介します。
  この意見書は、3Aブロックと3Bブロックの収容者たちが議論してねりあげ、2ブロック共同で提出したものです。合計55名、16国籍にわたる収容者たち(イラン、ボリビア、ガーナ、ペルー、中国、ブラジル、フィリピン、パキスタン、インド、ビルマ、インドネシア、ベトナム、スリランカ、韓国、ナイジェリア、タイ)が、意見書に署名しております。
  以下、意見書の画像(署名欄は省略しました)と文面をのせます。その下に、蛇足にはなりますが、「仮放免者の会」支援者による解説をつけました。

[ひらがな・カタカナ]
  ひがしにほん・にゅうかん・センター(いばらきけん うしくし)に しゅうよう されて いる ひとたちが、にゅうかんセンター あてに きょうどうで サインして だした 「意見書(いけんしょ)」を しょうかい します。
  この いけんしょは、3Aブロックと 3Bブロックの しゅうようしゃたちが ぎろん して ねりあげ、2ブロック きょうどうで にゅうかんに だした ものです。ごうけい55にん、16の こくせきに わたる しゅうようしゃたち(イラン、ボリビア、ガーナ、ペルー、ちゅうごく、ブラジル、フィリピン、パキスタン、インド、ビルマ、インドネシア、ベトナム、スリランカ、かんこく、ナイジェリア、タイ)が、いけんしょに サインして おります。
  したに、いけんしょの がぞう(サインは しょうりゃく しました)と ぶんめんを のせます。その したに、だそくには なりますが、「かりほうめんしゃの かい(PRAJ)」の しえんしゃが かいた かいせつを つけました。

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2011年5月27日
意見書

給食の品質の改善を求めます。

  この度、給食の改善を願いたく、この書簡でその思いを訴えさせて頂きます。
  ここは収容所であり、多くを求められないことは分かっております。しかし、私達も人間であり、ある程度、水準を超える給食の品質を求めます。
  毎朝食に玉子(ゆで玉子)を配当されるにも関わらず、日によって昼食のメインが玉子だったり、鳥肉、魚の繰り返しで、その鳥肉も、ゆでただけの味がないものだったりします。ある程度 金銭的な余裕がある人は、調味料などを購入し、なんらかの対策をとることもありますが、言ってみれば、金銭的な余裕がなければ、満足に食べることも出来ないということです。
  いくら収容所と言えども、給食の品質は低水準すぎます。唯一、ある程度の水準に至るとすれば、週一度に配当されるカレーであり、そのためにもこの機会に、カレーのせめて週二度の配当をも検討して頂くことを求めます。

収容者一同

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【解説】

[漢字かなまじり]

  入国管理局の公式ウェブサイトには、「収容施設について」というページがあります。日本国住民(とうぜんビザのない外国人もふくまれます)の税金によって運営されている入国管理局が、自分たちがいかに収容者の人権に配慮しているか、説明・宣伝しているページです。写真つきで、入管の収容施設の様子がわかりやすく紹介されております。収容されるのは、それ自体でさまざまな自由をうばわれることですが、入管のウェブサイトをみるかぎりでは、それなりに収容者の人権に配慮されており、快適とまではいえないにせよ、なかなかわるくないところのようには見えます。


  ところが、入管に収容されたひとたちに聞いてみると、どうも話がちがいます。「仮放免者の会」では、茨城の東日本入管センターの各ブロックに、入管のホームページのコピーを面会をとおして配布しました。また、収容された経験があり、いま仮放免中の会員たちといっしょに、この入管のページを見て、話しあいをしました。
  みんな口をそろえて言うのは、入管の説明・宣伝は大うそ、でたらめ、インチキだらけだということです。
  あらあら。税金によって運営されている入国管理局は、納税者である日本国住民(とうぜんビザのない外国人もふくまれます)に説明責任があるはずですが、そこでウソ八百、でたらめな説明をしているのだとしたら、これは大問題! 納税者をあざむいていることになりますから、担当職員には減給・降格といった処分が必要ではないでしょうか?
  たとえば、ページのいちばん上には、「収容施設の構造及び設備は,通風,採光を十分に配慮しており,冷暖房が完備されています」と書かれていますが、これはウソです。東日本入管センターでは、窓の全面に外からの光をさえぎる紙がはられています。収容者は、いっさい外の風景をみることもできず、またその日の天気を知ることもできません。収容経験者は言います。「自由のない収容生活では、窓から木の葉の色の変化をみたり、飛んでくる鳥をみることぐらいしか楽しみがないのに、茨城ではその自由すらうばわれている」と。
  また、通風に配慮しているという入管のいいぶんも、ウソです。「あついから窓をあけてほしい」と要求すると、職員はそう要求した収容者をひとり部屋に隔離するという嫌がらせをおこなったりもします。


  上で紹介した3Aと3Bブロックの意見書が問題にしている食事についても同様です。


(↑ 入管が公表しているプロパガンダ写真。上から朝食、昼食、夕食。)

  収容者、収容経験者に入管のウェブサイトの写真を見てもらうと、みんな「ちがう!」と言います。朝食のパンにはジャムがついてないそうです。魚は、じゅうぶんに火がとおっていないうえに、鮮度がわるいのか、いつも変なにおいがするそうです。3月の地震後には、とくに野菜がわずかしか出ないなど、食事の内容が非常に粗末な状態がつづいているそうです。
  大地震直後には、茨城県では食材が手にはいりにくくなっていたのはたしかなので、一時的に食事の質がわるくなるのは、理解できます。しかし、東日本入管センターには、職員と一般の来訪者が利用できる食堂がありますが、そこではバイキング形式でなかなか立派な食事を600円(職員は500円)でおなかいっぱい食べられます。地震から4ヶ月たった現在、牛久市のスーパーにも、地震前の水準の量の食品がならんでいます。
  これはふしぎな話ではないでしょうか? これはミステリーです。情報を整理してみましょう。

  1. 地震から時間がたち、いまや茨城県では食材が手にはいりにくいということは、とくにない。
  2. にもかかわらず、地震直後に食事がまずしくなって以降、現在までそれが改善されていない。
  3. 収容者ひとりあたりの食事のための予算は、入管の規定できめられているはず(1日1000円ぐらい?)。

  となると、収容者にだす食事のための予算があまるはずですが、そのあまったお金はいったいどこに消えてしまっているのでしょうか? お金は、ゆうれいでもなければ、けむりでもありませんから、あるはずのお金が使ってもいないのに消えるなんてことは、ふつうありません。いったいどういうことなのでしょうか? なぞは深まるばかりです。

  さて、このように入管収容施設の処遇がひどいのは、入管職員の収容者にたいする配慮が「たりない」からだけではありません。かれらは、意図的に(わざと)処遇をわるくしているのです。それは、収容者を身体的・精神的にいためつけて、「帰国同意書」にサインさせるのがかれらの仕事だからです。その目的のために入管職員は、ありとあらゆる手段をとろうとします。窓の外の景色をみえなくすることからはじまり、収容者の希望をくじく言葉をかけること、ろくな食事をさせないこと、病気になってもまともな医療を受けさせないことにいたるまで、さまざまな手段をつかって、収容者をいびりたおそうとするのです。
  3月の地震直後に、入管の収容者たちは、地震の被害者のための義援金をあつめ、寄付しました。
  また、東京入管や西日本入管センター(大阪府茨木市)では、「自分たちの一日3度の食事を2度にへらして、あまったぶんのお金を被災地に送ってほしい」という要望書を連名で提出するうごきもありました。
  日本の入管がやっていることは、そういったひとたちへの仕打ちとして、あまりにもひどいのではないでしょうか?
  収容者たちは、みずからの状況をすこしでもよくし、自分たちの人権を回復するために、立場のちがい(難民、日本人配偶者、移住労働者など)や国籍をこえて話しあい、協力して、入管の人権侵害に立ち向かってきました。そのことは、このブログでもつたえてきたとおりです。今回のような共同での意見書提出もその一環です。
 こうした収容者たち自身のたたかいを外側からサポートする人が必要です。東日本入管センター(茨城県牛久市)、東京入管(東京都品川)、東京入管横浜支局(神奈川県横浜市)で、わたしたちと一緒に面会に入っていただけるボランティアを募集します。関心をもたれたかたは、「仮放免者の会」のメールアドレス[junkie_slip999@yahoo.co.jp]までご連絡ください。




[ひらがな・カタカナ]
  にゅうこく・かんりきょくの こうしきウェブサイトには、「しゅうようしせつに ついて」という ページが あります。にほんの じゅうみん(とうぜん ビザの ない がいこくじんも ふくまれます)の ぜいきんによって うんえい されて いる にゅうこく・かんりきょくが、じぶんたちが いかに しゅうようしゃの じんけんを だいじに しているか、せつめい・せんでん して いる ページです。しゃしんつきで、 にゅうかんの しゅうようしせつの なかの ようすが わかりやすく しょうかい されて おります。しゅうよう されるのは、それ じたいで さまざまな じゆうを うばわれる ことですが、にゅうかんの ウェブサイトを みる かぎりでは、それなりに しゅうようしゃの じんけんに はいりょ されて おり、かいてき とまでは いえないにせよ、なかなか わるくない ところの ようには みえます。


  ところが、にゅうかんに しゅうよう された ひとたちに きいて みると、どうも はなしが ちがいます。「かりほうめんしゃの かい(PRAJ)」では、いばらきの ひがしにほん・にゅうかんセンターの ブロックごとに、にゅうかんの ホームページの コピーを めんかいの ときに くばりました。また、しゅうよう された けいけんが あり、いま かりほうめんちゅうの PRAJメンバーたちと いっしょに、この入 にゅうかんの ページを みて、はなしあいを しました。
  みんな くちを そろえて いうのは、にゅうかんの せつめい・せんでんは おおうそ、でたらめ、インチキだらけだということです。
  あらあら。ぜいきんに よって うんえい されて いる にゅうこくかんりきょくは、ぜいきんを はらって いる にほんの じゅうみん(とうぜんビザのない がいこくじんも ふくまれます)に せつめいの せきにんが ある はずですが、そこで ウソはっぴゃく、でたらめな せつめいを して いるのだと したら、これは だいもんだい! ぜいきんを はらってる ひとを だまして いる ことに なりますから、たんとうしょくいんには しょぶん(きゅうりょうを へらすなど)が ひつようでは ないでしょうか?
  たとえば、ページの いちばん うえには、「収容施設の構造及び設備は,通風,採光を十分に配慮しており,冷暖房が完備されています」(しゅうようしせつは かぜや ひかりが はいるよう じゅうぶん はいりょ して おり、れいぼう・だんぼうが ちゃんと ついてます)と かいて ありますが、これは ウソです。ひがしにほん・にゅうかんセンターでは、まどの ぜんめんに そとからの ひかりを さえぎる かみが はられて います。しゅうようしゃは、いっさい そとの ふうけいを みる ことも できず、また その ひの てんきを しる ことも できません。しゅうよう けいけんしゃは いいます。「じゆうの ないしゅうよう せいかつでは、まどから きの はっぱの いろの へんかを みたり、とんで くる とりを みる こと ぐらいしか たのしみが ないのに、いばらきでは その じゆうすら うばわれて いる」と。
  また、かぜとおしに はいりょ して いる という にゅうかんの いいぶんも、ウソです。「あついから まどを あけて ほしい」と ようきゅう すると、しょくいんは そう ようきゅう した しゅうようしゃを ひとりべやに かくり する という いやがらせを おこなったりも します。


  うえで しょうかい した 3Aと 3Bブロックの いけんしょが もんだいに して いる しょくじに ついても おなじです。


  しゅうようしゃ、しゅうよう けいけんしゃに にゅうかんの ウェブサイトの しゃしんを みて もらうと、みんな「ちがう!」と いいます。ちょうしょくの パンには ジャムが ついて ない そうです。さかなは、じゅうぶんに ひが とおって いない うえに、ふるく なった さかななのか、いつも へんな においが する そうです。3がつの じしんの あとからは、とくに やさいが わずかしか でない など、しょくじの ないようが ひじょうに そまつな じょうたいが つづいて いる そうです。。
  だいじしんの すぐ あとには、いばらきけんでは たべものが てに はいりにくく なって いたのは たしかなので、いちじてきに しょくじの しつが そまつに なるのは、りかい できます。しかし、ひたしにほん・にゅうかんセンターには、しょくいんと いっぱんの らいほうしゃが りよう できる レストランが ありますが、そこでは バイキング けいしきで なかなか りっぱな しょくじを 600えん(しょくいんは 500えん)で おなか いっぱい たべられます。じしんから 4かげつ たった げんざい、うしくしの スーパーマーケットにも、じしんの まえの すいじゅんの りょうの やさいや にくや さかなが ならんで うられて います。
  これは ふしぎな はなしでは ないでしょうか? これは ミステリーです。じょうほうを せいり して みましょう。

  1. じしんから じかんが たち、いまや いばらきけんでは たべものを かうのが むずかしい ということは、とくに ない。
  2. にもかかわらず、じしんの すぐ あとに しょくじが まずしく なって いこう、げんざいまで それが かいぜん されて いない。
  3. しゅうようしゃ ひとりあたりの しょくじの ための よさんは、にゅうかんの ルールで きめられて いるはず(1にち 1000えん ぐらい?)。

  となると、しゅうようしゃに だす しょくじの ための よさんが あまる はずですが、その あまった おかねは いったい どこに きえて しまって いるのでしょうか? おかねは、ゆうれいでも なければ、けむりでも ありませんから、ある はずの おかねが つかっても いないのに きえる なんて ことは、ふつう ありません。いったい どういう ことなのでしょうか? なぞは ふかまる ばかりです。

  さて、このように にゅうかんの しゅうよう しせつの しょぐうが ひどいのは、にゅうかん しょくいんの しゅうようしゃに たいする はいりょが 「たりない」から だけでは ありません。かれらは、いとてきに(わざと) しょぐうを わるく して いるのです。それは、しゅうようしゃの からだと こころを いためつけて、「きこく どういしょ」に サイン させるのが かれらの しごとだからです。その もくてきの ために にゅうかんの しょくいんは、ありとあらゆる しゅだんを とろうと します。まどの そとの けしきを みえなく する ことから はじまり、しゅうようしゃの きぼうを くじく ことばを かける こと、ろくな しょくじを させない こと、びょうきに なっても まともな いりょうを うけさせない ことに いたる まで、さまざまな しゅだんを つかって、しゅうようしゃを いびり たおそうと するのです。
  3がつの じしんの すぐ あとに、にゅうかんの しゅうようしゃたちは、じしんの ひがいしゃの ための ぎえんきんを あつめ、きふ しました。


  また、とうきょう・にゅうかんや にしにほん・にゅうかんセンター(おおさかふ いばらきし)では、「じぶんたちの いちにち 3どの しょくじを 2どに へらして、あまった ぶんの おかねを ひさいちに おくって ほしい」という ようぼうしょを みんなで サインして だす うごきも ありました。
  にほんの にゅうかんが やって いる ことは、そういった ひとたちへの しうち として、あまりにも ひどいのでは ないでしょうか?
  しゅうようしゃたちは、みずからの じょうきょうを すこしでも よくし、じぶんたちの じんけんを とりもどす ために、たちばの ちがい(なんみん、にほんじんと けっこん している ひと、はたらきに やってきた ひとなど)や こくせきを こえて はなしあい、ちからを あわせて、にゅうかんの じんけん しんがいに たちむかって きました。その ことは、この ブログでも つたえて きた とおりです。こんかいの ような きょうどうでの いけんしょ ていしゅつも その いっかんです。
 こうした しゅうようしゃたち じしんの たたかいを そとがわから サポート する ひとが ひつようです。ひがしにほん・にゅうかんセンター(いばらきけん うしくし)、とうきょう・にゅうかん(とうきょうと しながわ)、とうきょう・にゅうかん・よこはま・しきょく(かながわけん よこはまし)で、わたしたちと いっしょに めんかいに はいって いただける ボランティアを ぼしゅう します。きょうみを もたれた かたは、「かりほうめんしゃの かい(PRAJ)」の メールアドレス[junkie_slip999@yahoo.co.jp]まで ごれんらく ください。

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