Wednesday, March 16, 2011

へやに とじこめ かぎを かける!――だいじしんで にゅうかんが とった たいしょ

漢字かなまじり
in English

  わたしたちは 3月14日(げつよう)、とうきょう にゅうかん(しながわ)と ひがし にほん にゅうかん センター(いばらき・うしく)に いきました。その もくてきは、3がつ 11にち(きんよう)の ひがし にほん だいしんさいでの、しゅうようされた ひとたちの じょうきょうを しらべるためです。
  とうきょう にゅうかんでは、あさから ゆうがたまで、「さいにゅうこく きょか」の てつづきに きた ひとたちの ながい れつが たてものの そとの ほどうにまで あふれていました。じしんと げんぱつ(げんしりょく はつでんしょ)の じこの きけんから のがれる ために にほんから でて いこうと する、ざいりゅうしかく(ビザ)の ある がいこくじんたちの ぎょうれつです。
  いっぽうで、にゅうかんには なんみん にんていを しんせい して いる ひとや オーバーステイの ひとたちなど、ビザの ない ひとたちが しゅうよう されて います。かれらとの めんかいを とおして、じしんが おきた ときに、とうきょう にゅうかんと、ひがし にほん にゅうかん センターが、しゅうよう されて いる ひとたちの あんぜんと じんけんを かんがえない、きわめて もんだいの ある たいしょを して いた ことが わかりました。


  いばらきけんの ひがし にほん にゅうかん センターでは、11にち 15じ まえの じしんの ショックで 3にんの ひとが たおれた そうです。この ひは いしゃが いなく、かんごしが AED(Automated External Defibrillator)をつかって、3にんを たすけ だしたとの こと。
  このような しんこくな じょうきょうにも かかわらず、にゅうかんの しょくいんは しゅうよう された ひとたちを パブリック スペースから それぞれの へやに とじこめ、かぎを かけた そうです。パニックに なった ひとびとも いましたが、しょくいんは「しんぱいない」「しんぱいない」と いって、みんなが へやの ドアを たたく まで かぎは あけなかったとの こと。
  とうきょう にゅうかんでも、おなじ ような たいしょが なされた ようです。とうきょう にゅうかんでは、けがにんなどが でたとの じじつを わたしたちは つかんで おりませんが、みんな、じしんの ゆれが ひじょうに こわかったと いって います。とうきょう にゅうかんは、「とうきょうわん」の うみの うえを うめたてて たてられた たてものです。また、しょうようばは 8かい から 11かいに あるので、いざというときに にげるのが むずかしい という ふあんも あるでしょう。
  ところが、しょくいんは しゅうようされた ひとたちに へやに もどるよう めいれい した そうです。とうぜん、これに つよく こうぎ した ひとたちが たくさん いましたが、15じ から 16じの あいだには へやに とじこめられ かぎを かけられたとの こと。さらに、しゅうよう された ブロックによっては、しょくいんからの じしんに ついての せつめいすら なかったと いいます。


  こうした にゅうかんの たいしょは、かんがえられる あらゆる たいしょの なかで、さいあくの(いちばん わるい)ものと いえます。 いそいで にげなければ いけない じたいが よそう される ときに、にゅうかんは わざわざ 「にげみちを なくす」という「たいしょ」を とった わけです。こうした きけんな じょうきょうで かぎの かかった へやに とじこめられる ことの こわさと ストレスも そうとうに おおきな ものです。また、もし たてものの いちぶが くずれるなど して たすけださなければ ならなく なった ばあいに、かぎを かけることで たすけだす しごとのの さまたげに なるのは あきらかです。
  そして、11にち だけでなく、いまも ごぜんと ごごの「フリータイム」と よばれる じかん いがいは、しゅうよう されて いる ひとたちは かぎつきの へやに とじこめられて おり、パブリック スペー スにすら でられません。
  もし にゅうかんが しゅうよう された ひとの あんぜんと じんけんを すこしでも かんがえて いる ならば、けっして このような きけんな しょちを とらない はずです。にゅうかんは、しゅうようされた ひとたちを コントロールし おさえつける こと だけを かんがえて いるのでしょう。
  わたしたちが めんかい した ひとたちが しんぱい して いたのは、じぶんたちの あんぜんだけでは ありません。すでに みんな とうほく・かんとう ちほうが じしんで おおきな ひがいを うけて いる ことや、ふくしまの げんぱつの トラブルを しって います。とうきょう にゅうかんでは、にほんから にげだそうと する ひとたちの ぎょうれつが たてものの そとまで あふれている ようすが、しゅうよう された ばしょの まどから みおろせるとの ことです。みんな、じしんの ひがいの おおきかった ところやげんぱつの ちかくに すんで いる かぞくや ともだちの ことを とても しんぱい して います。
  ところが、11にちの じしんが おきた ときには、にゅうかんは でんわを ひとり 5ふんに せいげん したり、ブロックに よっては「かぞくに でんわ させて ほしい」という ようきゅうに 「ダメ」と いったり した そうです。


  しゅうよう された ひとを このような きけんに さらし、せいしんてきな ふあんを もたらして いる にゅうかんの たいしょを あらためる ことを もとめるため、わたしたちは ひがし にほん にゅうかん センターと とうきょう にゅうかんに もうしいれを おこないました。
  とうきょう にゅうかんへの もうしいれでは、しょぐうぶもん(7かい)の めんかいたんとう せきにんしゃの Yさんらと はなしを しました。
  わたしたちが「しょぐう きそく だい16じょうに もとづいて ほあん けいかくを たて、[みんなを にがす]くんれんを して いるのか?」と きくと、Yさんは「ちゃんと マニュアルを つくって いるし くんれんも して いる」と こたえました。
  「では、じしんの あとに しゅうようされた ひとを それぞれの へやに もどらせて かぎを かけたのは マニュアル どおりなのか?」と きくと、Yさんは「ほあんじょうの ぎょうむに ついては こたえられない」などと いって、マニュアルの ないように ついての しつもんには ぜんぜん こたえませんでした。
  はなしの ながれ からして、「しゅうよう された ひとたちが『フリータイム』で パブリック スペースに でて いる あいだに じしん(あるいは ひじょうじたい)が おこった ばあい、へやに もどして かぎを かける」とマニュアルに かいてると しか かいしゃく できません。Yさんは、「マニュアル」の そんざいを みとめて おり、その「マニュアル」の もとで じっさいに とられた たいしょが、 「へやに もどして かぎを かける」だった わけですから。
  ここでもまた、ほうむしょうと にゅうかんが、しゅうよう された ひとの あんぜんや じんけんを ぜんぜん だいじに かんがえて いない こと、しゅうよう された ひとを コントロールし おさえつける あいて として しか みて いない ことが、はっきり わかります。
  ほうむしょうが 「にゅうかんほう」という ほうりつに もとづいて だして いる「ひしゅうようしゃ しょぐう きそく」という ルールの だい17じょうでは、にゅうこく かんり センター しょちょうや にゅうこく かんりきょくちょうの けんげん として、じしんなどの さいがいの ときには、しゅうよう された ひとを 「いちじ かいほう」(いちじてきに そとに だして じゆうに する こと)をしても よいと きめて います。つまり、にゅうかんには、しゅうよう された ひとたちを げんばの はんだんで 「いちじ かいほう」して あんぜんな ところに にげ させる という せんたくし(オプション)が あったのです。すくなくとも、じしんの きけんが ちいさく なる までは、へやの かぎを あけて おく という ことだって できた はずです。ところが、こんかいの じしんで にゅうかんが じっさいに とった たいおうは、「にげられない ように かぎを かけて とじこめる」という さいあくの もの だった わけです。
  したがって、こんかいの ことに ついて、ほうむしょうは もちろんの こと、げんばの にゅうこく かんり センター(いばらき)と にゅうこく かんりきょく(しながわ)にも じゅうだいな せきにんが ある ことを してき しなければ なりません。 わたしたちの もうしいれや こうぎなどに でてくる にゅうかんの しょくいんたちは、いつも「じぶんたちは ほうりつに もとづいて てきせいに やって いる」「しょぐう きそくに のっとって いる」と くりかえす ばかりで、ろくな こたえを かえして きません。しかし、その「しょぐう きそく」という ルールに てらして みても、この じしんでの にゅうかんの たいしょは ひじょうに もんだいの ある ものです。
  しかも、とうきょう にゅうかん しょぐうぶもんの Yさんが じじつじょう みとめた とおり、だいじしん あるいは きんきゅうの じたいが おこったら かぎを かけて とじこめる という「マニュアル」が あるのだと すれば、にゅうかんを かんとく する ほうむ だいじん・ほうむしょうの せきにんも とわれなければ なりません。

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