Saturday, July 16, 2011

MTFの収容者が隔離されていることについて

  入管に収容されること自体が、さまざまな自由を制限されることです。その意味で、すべての収容者にとって、収容は苛酷なものです。しかし、収容者のなかでも、とりわけ苛酷な状況で収容されているひともいます。
  今回、紹介させていただくのは、Kさんが法務大臣あてに送った手紙です。Kさんは、MTF(Male to Female)のフィリピン人です。6月14日まで東京入管に収容されていましたが、その後、茨城県の東日本入管センターに移送され、現在もそこに収容されています。
  Kさんは、茨城への移収後、処遇が非常に劣悪・苛酷になったということで、法務大臣にあてて手紙を書いたそうです。面会におとずれたわたしたちに、Kさんがおっしゃっていたのは、なかまの収容者たちから隔離されていることの不当性です。
  入管の収容施設では、収容者たちは各10~30人代のブロックごとにわけられて収容されています。就寝と食事の時間は、居室にとじこめられ、カギをかけられますが、午前と午後の「フリータイム」には部屋から出て、おなじブロックのなかまの収容者たちと交流できます。
  ところが、東日本入管センターでは、KさんらMTFの収容者は、フリータイムになっても、3階から1階に移動させられ、他の収容者たちとのコミュニケーションを禁じられています。面会時にKさんはおっしゃっていました。「ほかの収容者と友だちになりたいし、あいさつもしたい。相談だってしたい。でも、職員はそれをさせてくれない」と。
  外部との接触をいちじるしく制限された収容生活においては、なかまの収容者たちと会話し、はげましあうことが、ストレスや不安をやわらげるための数少ない手段、それゆえきわめて重要な手段になります。ところが、Kさんは、そうした手段を隔離によってさまたげられ、やはり同様に隔離されているもうひとりのMTFの収容者と担当職員以外とは会話できない状態におかれているのです。ただでさえ収容によって長期間にわたって外部との交通を断たれているうえに、こうして他の収容者とのコミュニケーションすら厳しく制限されてしまうことによる、精神的なストレスはたいへんなもののはずです。
  さらに、Kさんには持病があり、フリータイムの時間帯でも、自室のベッドでやすみたいことがあるそうです。しかし、フリータイム中はベッドのある自室にもどることができないので、食事用のテーブルに布を敷いてそのうえに寝ているのだそうです。
  こうした処遇の問題点について、わたしたちは6月下旬に東日本入管センターの総務課に抗議し、改善をもとめましたが、Kさんによると、1ヶ月ちかくたったいまも状況はよくなっていないそうです。抗議のさいには、なぜ他の収容者から隔離するのかについて説明をもとめましたが、回答はありませんでした。
  以下、Kさん(実名はふせます)のお手紙(英文)とその日本語訳をのせます。



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2011.6.22

Minister of Justice

    A pleasant good day! I am K. I am here in Ibaraki Immigration. I came here again last June 14, 2011. My situation here is same before, it's very difficult. I cannot stay to my own room here everyday. My room is in 3B-201, I stay room 4:45 PM until 9:20 AM. I sleep only to my own room. I cannot stay in my room if I want. I leave my room 9:20 AM to go and stay in other block 1B-203. I stay in this block until 4:45 PM. I leave my own room everyday and bringing two baskets, because I bring my change clothes, towel, important documents and things, and also my pillow and one bedding. Because I sleep in 1B-203 in the table(food table). Sometimes I forget my other things in my own room, but I am not allowed anymore to go back to my own room again. I am in difficult situation here. I am tired to do this everyday. I cannot talk freely to my own co-detainees in my same block, in my own room area 3B. I saw them only in the morning 9:20 AM. I go with my ownself to their every room, starts to room 203 until 210. I do this every morning to greet them a good morning in every window. But there is a staff as a guard and I cannot greet very well because the officers always told me to hurry up. My co-detainees wants to give a present foods to me but it's not allowed. We are in same block 3B we've but I cannot received food and things directly. In my block 3B, my co-detainees can freely everything what they've want to give to others, but me, they've not allowed me. My co-detainees in my block 3B are didn't understand  the rule here. They've got angry anymore to the officers. I am a human being not an animal. I am pressured, stressed and tired in here. Minister of Justice, permit me to please I want to stay in my own room. I need only to take a shower and a 30 minutes call and the rest I will stay inside my room. I don't need a free time anymore. The important is I am in my room peacefully. In Tokyo Shinagawa Immigration I am freely to go back and stay to my own room. I am not pressured, stressed and tired totally in there. I am treated there to the all officers as a human being. All officers there are very kind and understanding. I have no problem there.
    Minister of Justice, kindly please help me. Give me justice. I am very very difficult here. I need your help.
    Hoping for a kind and consideration.

Very Yours Truly

K


【日本語訳】

2011年6月22日

法務大臣さま

  拝啓
  わたくしは、Kともうします。茨城の入管[東日本入国管理センター]におります。2011年6月14日にここに来ました。
  ここでのわたしの状況は、とてもつらいものです。わたしは、毎日、自室にいることすらできないのです。私の部屋は3Bブロックの201号室で、自室には午後4時45分から午前9時20分までいます。自室では、ねむることができるだけです。私は自室にいたくても、いることができません。午前9時20分に自分の部屋をはなれ、べつのブロック、1B-203に移動させられます。わたしはこのブロックに、午後4時45分までとどまらなければなりません。わたしは毎日じぶんの部屋を出て、[3階から1階まで]かご2つぶんの荷物をはこびます。着がえやタオル、重要な書類などを持っていかなければならないからです。さらに、まくらと寝具も持参します。1B-203で、テーブル(食事用のテーブル)のうえで寝るためです。わたしは[3階の]自室にわすれものをすることがありますが、わすれものを取りに自室にもどることは許可されません。わたしはここでつらい状況にあります。これを毎日くりかえすのに疲れています。
  わたしは、おなじブロック、わたしの部屋のあるエリアである3Bブロックのなかまの収容者たちと自由に会話することもできません。わたしは、朝9時20分にかれらをすこし見かけることができるだけです。わたしは自分の部屋を出てから、かれらの各部屋(203号室から210号室)のまえをとおって行きます。わたしは毎朝、かれらのそれぞれの部屋の窓にむかって「おはよう」とあいさつをします。しかし、警備の職員が立っていて、いつもわたしに早く行くように命じるので、わたしは満足にあいさつすることすらできないのです。わたしの仲間の収容者たちは、わたしにプレゼントの食べ物を差し出そうとしますが、それも許可されません。わたしたちはおなじ3Bブロックにいるのに、わたしは食べ物などを直接うけとることすらできないのです。3Bブロックでは、わたし以外の収容者たちはおたがい自由に何でももののやりとりをすることができますが、わたしに対してだけは、かれらがそうすることが許可されないのです。わたしのなかまの収容者たちは、そんなルールは理解できないと言っています。かれらは職員たちに対して怒っています。
  わたしは動物ではなく人間です。わたしはここ[茨城]で精神的圧力とストレスを受け、まいっています。法務大臣さま、どうかわたしを自室ですごさせてください。シャワーと30分の電話の時間さえあればよく、のこりの時間を自室のなかですごしたいのです。もうフリータイムもいりません。わたしにとって重要なのは、部屋でおだやかにすごすことです。東京品川の入管[東京入国管理局]では、わたしは自由に部屋にもどり、そこですごすことができました。そこ[品川]では、全体として精神的圧力やストレス、疲労は感じませんでした。わたしはそこではどの職員にも人間としてのあつかいを受けていました。どの職員もとても親切で理解がありました。わたしはそこでは問題がありませんでした。
  法務大臣さま、どうかわたしに思いやりをかけて、たすけてください。わたしを公正にあつかってください。わたしは、とてもとても精神的圧力とストレスでまいっているのです。わたしのここでの状況はとてもとてもつらいものです。あなたのたすけを必要としています。
  ご慈悲とご配慮のほど、よろしくお願いいたします。

心をこめて

K

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★【募集】牛久入管へKさんへ面会に行ける方、あと、お手紙を書ける方差し入れをおくれる方を募っています。 彼女にぜひはげましの言葉をかけてあげてください。宜しくお願いします。

1)お手紙について
    内容は英語か、ローマ字でお願いします
    住所は〒169-0075 東京都新宿区高田馬場3-13-3-404
    仮放免者の会宛(Kさんへのお手紙)という風に表書き下さい

2)面会について
    →ねごろまでお知らせ下さい。私が同行できなくても他のスタッフと調整できるようにします
        yunegoro@gmail.com
       直近では7/20にねごろは牛久へいきます

3)差し入れ
  お手紙も喜ばれますが、テレフォンカード(KDDI)のものがあるとKさんは入管から外へ電話をすることができます。なので彼女にテレカを送るというのも支援になります。中国の食料品店などで安めのものを売っていますが、面倒な方はズバリお金を振り込んで頂ければかわりにテレカをかって差し入れすることも可能です。

口座振り込み
  ゆうちょ銀行 10560-22655891 カリホウメンシャノカイ
  (他の金融機関から振り込む場合 店番 058 普通預金  2265589)
  ※「Kさんへのカンパ」とお書き下さい

Thursday, July 14, 2011

東京入管職員による集団暴行事件

  東京入管で、職員による集団暴行事件がおこりました。被害者は、難民申請者でコロンビア人のミルトンさんです。ミルトンさんは、暴行事件の直後に品川の東京入国管理局から茨城県の東日本入国管理センターに移送され、現在も収容されています。
  15人ほどの職員が、まったく無抵抗でいっさい手をあげることのなかったミルトンさんに一方的に暴行をはたらいたことについては、目撃していた複数の収容者の証言もあります。
  入管の収容施設では、この事件のほかにも職員による暴力事件はしばしば発生していると推測されます。しかし、入管は閉ざされた組織であり、収容所内でなにがおこっているのかを外部のわたしたちたちが知る手段は限られています。面会をつうじて収容者から情報をえるほかないのが現状です。隠蔽されている暴力事件はこの件のほかにも数知れずあるのだろうと考えざるをえません。
  今回のミルトンさんへの暴行事件においては、目撃者によると、職員のひとりが暴行の様子をビデオカメラで撮影していたとのことです。東京入国管理局が、職員による暴行があった事実を認識しているのは確実です。東京入国管理局およびこれを監督する法務省入国管理局は最低限、(1)事実関係を調査すること、(2)暴行に加担した職員と責任者に厳正な処分をくだすこと、(3)調査して明らかになった事実の詳細と処分内容をミルトンさんに文書で説明すること、(4)ミルトンさんに誠実に文書で謝罪することの4点をすべきです。
  以下、この事件について、収容者からあずかった2つの文書を公開します。
  ひとつは、被害者のミルトンさんが、自身が受けた暴行による負傷について、事件直後に作成したメモの画像です。入管は、収容者がカメラや携帯電話を所持することすら禁止しています。また、面会におとずれた支援者が写真を撮影することも禁止しています。したがって、収容者は自分自身が受けた被害について証拠をのこす手段すら不当に制限されているのです。
  いまひとつは、ミルトンさんとおなじブロックに収容されている、鈴木啓三ロベルトさんによる、ミルトンさんからの聞き書きの記録です。鈴木さんは、ミルトンさんから事件とその後の経過についての母語(スペイン語)での聞きとりをおこない、その内容を日本語でまとめたものを、面会におとずれたわたしたちに託してくださいました。
  なお、鈴木さんについては、以前、このブログで紹介したことがあります。鈴木さんが書いた入管批判の文書を公開してありますので、そちらもごらんください。

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【ミルトンさんのメモ】(クリックするとおおきくなります)


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意見書
外国人人権保護団体
PRAJ: 団体長殿
SYI: 団体長殿

  先ず意見書をインターネット上に、情報公開して下さった皆様に心から御礼と感謝の意を申し上げたいと存じます。誠に有り難うございました。
  皆様の御陰で多くの人間が入管の本質と実態を知り得た事と存じます。その結果、我々外国人の理解者が一層増す事を心から願って居ます。
  私はこちら東日本入管に移動させられて数週間経ちますが、その間、耳を疑う話ばかり聞いて来ました。
  その一人はコロンビア国籍、MILTON CESAR TAPIAS GUTIERREZさんのお話でございます。本人の承諾を得て、彼が話した事を有りの儘、書き綴りたいと存じます。

  私は MILTON CESAR TAPIAS GUTIERREZ と申します。私は2011年1月21日、東京入管に再収容された者です。仮放免申請の結果を待って居りましたが、併し2011年4月20日理由がない旨の不許可通知を午後4:00頃、担当官から手渡されました。
  私と致しましては、自分と同ケースの人達が仮放免許可となって居り、自分も許可されるものと思って居りました。併し結果は不許可でした。私は誠に信じられませんでした。
  私はその理由を尋ねましたが、理由が無いと、返答されただけでした。私は納得出来なかったので担当官に保証人にはその旨を伝えましたかと尋ねましたが、担当官は文書を郵送すると、単調な口調で返事し、退室して行きました。
  間もなくしてチケット担当官が入室し問答無用に、君は明日茨城に行きますと言ったのです。私は質問をまだ答えて頂いて無かったので納得する事がどうしても出来ませんでした。
  私は不許可となった理由を聞くまでは茨城には行きたくありません と 担当官に申し出ましたところ、チケット担当職員は凄い剣幕で怒鳴って来ました。私の事など犬以下の扱いでした。
  チケット担当の言葉は次の通りです。

  ――これは東京入管の決定だ! 異議は受け入れない!

  大声で威嚇し、有無を言わさず、問答無用に退室を余儀なく強いられました。私は最後まで上級担当との話し合いを願い出ましたが、頑なに拒否され、已むを得ず部屋に戻りました。
  無論それは強制的に近い状態でした。入管は我々外国人と対話する気持ちなど全く持って居りません。極論、日本政府入管は難民の人々の受け入れを頑なに拒んで居るのです。又、それだけでなく不当な扱いをして居るのです。私は暴行に近い扱いをされました。これから私に起きた事を話したいと存じます。

 2011年4月21日 午前7:00頃、自分の扉の前に職員がやって来ました。そして今日の午前8:00頃 茨城に行きますので準備して下さい、職員はそう言って、どこかへ立ち去ろうとしました。併し私は仮放免不許可の理由を聞かされて居なかったので職員を引き止め、不許可の理由を聞くまでは茨城に行きたく無い旨を職員に伝えました。
  職員は、これは東京入管の決定だ、異議は受け入れないと言ったので、私は、では上級階級担当と話し合いをさせて下さいと申し出ましたが、今はボスが居ないのでそれは出来ないと職員が言ったのです。
  私はどうしても納得で出来なかったので、何度も職員に申し出ましたが、職員は、それは出来ないの一点張りでした。
  私は職員に対し、詳細な理由と鼻の治療の引き継ぎをして頂きたいだけです、ですからボスと話をさせて下さいと言いました。
  併し職員はその願いさえも聞いてはくれませんでした。一方では職員は自分の部屋の扉の前で「大丈夫だ、あなたのレポートは茨城入管の方へ引き継がれる」と繰り返し言うだけでした。
  私は、そこまで言うのなら書面でそれを約束して下さいと頼みましたが、職員は、それも出来ないと繰り返し言うだけでした。
  この交渉は1時間ぐらい続きました。そしてその時でした。

  午前8:10頃、突然 扉が開けられ、大勢の職員等が雪崩の様に入って来ました。その数15人ぐらいでした。
  私は自分の身を守る為に抵抗しましたが、私は決して暴力を振るって居りません。
  併し職員等は私を拘束しようとして自分の腕をねじるように掴み、私は今までに無い痛みを感じました。それから私は全身から力が脱けたと同時に後ろ手錠をはめられました。
  彼らは無抵抗になった私に対して、容赦なく頭を掴み、床に押さえつけたのです。更に頸部を掴み押さえ込んで来ました。
  私は痛いと大声で叫びましたが、職員等は私を解放する事はありませんでした。私は痛いと叫び続けましたが、解放される事はなかったのです。
  彼等は私を後ろ手錠の状態で下の階へ連行して行きました。自分はその時、全身痣だらけになって居りました。顔面の顎また額の右側が赤く擦り剥いて居りました。更に腕、頸部、脚、膝、手首が赤く擦り剥いて居り、非常に痛かったたです。特に頸部は今現在も痛みます。
  私は何故この様な暴行とも言える行為を受けなければならないのか、誠に遺憾に存じます。
  私は下の階で前手錠にさせられ椅子に腰を掛けさせられました。そして有無を言わせず、あなたはこれから茨城に行きますと素っ気なく言うだけでした。
  彼らは私が大変苦しいにも拘わらず、何の対応もして頂けませんでした。ただひたすら私を茨城に連行する事を考えて居ただけでした。
  私は職員に対して、局長に手紙を渡してほしいと申し出ましたが、彼らはそれを受け取ろうとはしませんでした。そこで私は強い口調で、この手紙を局長に渡して頂けるならば、私はこのまま茨城に黙って行きますと言いました。
  それでやっと自分の手紙を受け取ってくれたのです。今思えば私を宥める為だけに、あの手紙を受け取ったと思って居ります。
  手紙の中身は現在の自分の心境と鼻の治療をしっかり引き継ぐよう茨城入管に伝えてほしい旨が書いて有っただけです。
  彼らは手紙を受け取ったのですが、その後の手紙の所在が定かではありません。何故なら未だに何の返答もないからです。
  また、東京入管の職員等の言葉は全てが全くの嘘でした。私はこちら東日本入管に着いてから何の治療も受けて居りません。全てがまやかしでした。誠に許せません。今は鼻アレルギー用の薬を服用して居るだけです。
  私がこちらに強制的に連れて来られた火、4月21日、身体中が痣だらけで、頸部に激痛が有りました。後頭部には大きな瘤ができて居りました。あまりに酷い状態だったので、次の日の4月22日、こちらの職員が証拠写真を撮って頂きました。その後、看護師がやって来ましたが、彼女は診療もせずに、これぐらい大丈夫です、5月10日まで我慢をして下さいと言うなり立ち去りました。何が大丈夫なのか、理解する事はどうしても出来ませんでした。
  私は誠に苦しかったにも拘わらず何もしてくれませんでした。私はその時は苦しくて誠に耐え難かったです。看護師が取った行動は誠に理解できず、遺憾と思うと同時に憤りを感じられずには居られません。
  先月から私は情報開示請求をしました。5月12日から今現在6月27日にやっとその日の証拠とも言える写真が手元に届きました。
  全てではありませんが、入管が私に行った事の真実を少し垣間見る事が出来ると信じて居ります。
  猶、全て真実である。


  以上MILTONさんのお話でした。私はこの話を聞いて憤りを感じました。誠に遺憾であり、到底許される行為では無いと存じます。
  犯罪者でも無い人間にここまでやるのは明らかに暴行であり、人権侵害であると存じます。人間の自尊心の冒涜であり、誠に許し難い事実であると存じます。
  仮にも日本政府法務省の職員がこの様な事をやって良いものだろうか。私はそうは思えません。
  誰だろうと暴力を振るう権利は無いものと存じます。この様な事が然も入管のなかで起きてしまった事は誠に残念で遺憾であります。
  私はこの様な悲惨な事が二度と起こらぬ様に心から願って居ります。何故ならばこれは明らかな暴行事件と思って居るからでございます。
以上

2011年6月30日

                                                        収容者: 鈴木啓三ロベルト
                                                                  : MILTON CESAR TAPIAS GUTIERREZ
                                                        Jailed: ROBERTO KEIZO SUZUKI
                                                                : MILTON CESAR TAPIAS GUTIERREZ

Sunday, July 10, 2011

給食の品質改善をもとめる意見書

 [漢字かなまじり]
  東日本入管センター(茨城県牛久市)に収容されている人たちが、入管センターあてに連名で提出した「意見書」を紹介します。
  この意見書は、3Aブロックと3Bブロックの収容者たちが議論してねりあげ、2ブロック共同で提出したものです。合計55名、16国籍にわたる収容者たち(イラン、ボリビア、ガーナ、ペルー、中国、ブラジル、フィリピン、パキスタン、インド、ビルマ、インドネシア、ベトナム、スリランカ、韓国、ナイジェリア、タイ)が、意見書に署名しております。
  以下、意見書の画像(署名欄は省略しました)と文面をのせます。その下に、蛇足にはなりますが、「仮放免者の会」支援者による解説をつけました。

[ひらがな・カタカナ]
  ひがしにほん・にゅうかん・センター(いばらきけん うしくし)に しゅうよう されて いる ひとたちが、にゅうかんセンター あてに きょうどうで サインして だした 「意見書(いけんしょ)」を しょうかい します。
  この いけんしょは、3Aブロックと 3Bブロックの しゅうようしゃたちが ぎろん して ねりあげ、2ブロック きょうどうで にゅうかんに だした ものです。ごうけい55にん、16の こくせきに わたる しゅうようしゃたち(イラン、ボリビア、ガーナ、ペルー、ちゅうごく、ブラジル、フィリピン、パキスタン、インド、ビルマ、インドネシア、ベトナム、スリランカ、かんこく、ナイジェリア、タイ)が、いけんしょに サインして おります。
  したに、いけんしょの がぞう(サインは しょうりゃく しました)と ぶんめんを のせます。その したに、だそくには なりますが、「かりほうめんしゃの かい(PRAJ)」の しえんしゃが かいた かいせつを つけました。

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2011年5月27日
意見書

給食の品質の改善を求めます。

  この度、給食の改善を願いたく、この書簡でその思いを訴えさせて頂きます。
  ここは収容所であり、多くを求められないことは分かっております。しかし、私達も人間であり、ある程度、水準を超える給食の品質を求めます。
  毎朝食に玉子(ゆで玉子)を配当されるにも関わらず、日によって昼食のメインが玉子だったり、鳥肉、魚の繰り返しで、その鳥肉も、ゆでただけの味がないものだったりします。ある程度 金銭的な余裕がある人は、調味料などを購入し、なんらかの対策をとることもありますが、言ってみれば、金銭的な余裕がなければ、満足に食べることも出来ないということです。
  いくら収容所と言えども、給食の品質は低水準すぎます。唯一、ある程度の水準に至るとすれば、週一度に配当されるカレーであり、そのためにもこの機会に、カレーのせめて週二度の配当をも検討して頂くことを求めます。

収容者一同

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【解説】

[漢字かなまじり]

  入国管理局の公式ウェブサイトには、「収容施設について」というページがあります。日本国住民(とうぜんビザのない外国人もふくまれます)の税金によって運営されている入国管理局が、自分たちがいかに収容者の人権に配慮しているか、説明・宣伝しているページです。写真つきで、入管の収容施設の様子がわかりやすく紹介されております。収容されるのは、それ自体でさまざまな自由をうばわれることですが、入管のウェブサイトをみるかぎりでは、それなりに収容者の人権に配慮されており、快適とまではいえないにせよ、なかなかわるくないところのようには見えます。


  ところが、入管に収容されたひとたちに聞いてみると、どうも話がちがいます。「仮放免者の会」では、茨城の東日本入管センターの各ブロックに、入管のホームページのコピーを面会をとおして配布しました。また、収容された経験があり、いま仮放免中の会員たちといっしょに、この入管のページを見て、話しあいをしました。
  みんな口をそろえて言うのは、入管の説明・宣伝は大うそ、でたらめ、インチキだらけだということです。
  あらあら。税金によって運営されている入国管理局は、納税者である日本国住民(とうぜんビザのない外国人もふくまれます)に説明責任があるはずですが、そこでウソ八百、でたらめな説明をしているのだとしたら、これは大問題! 納税者をあざむいていることになりますから、担当職員には減給・降格といった処分が必要ではないでしょうか?
  たとえば、ページのいちばん上には、「収容施設の構造及び設備は,通風,採光を十分に配慮しており,冷暖房が完備されています」と書かれていますが、これはウソです。東日本入管センターでは、窓の全面に外からの光をさえぎる紙がはられています。収容者は、いっさい外の風景をみることもできず、またその日の天気を知ることもできません。収容経験者は言います。「自由のない収容生活では、窓から木の葉の色の変化をみたり、飛んでくる鳥をみることぐらいしか楽しみがないのに、茨城ではその自由すらうばわれている」と。
  また、通風に配慮しているという入管のいいぶんも、ウソです。「あついから窓をあけてほしい」と要求すると、職員はそう要求した収容者をひとり部屋に隔離するという嫌がらせをおこなったりもします。


  上で紹介した3Aと3Bブロックの意見書が問題にしている食事についても同様です。


(↑ 入管が公表しているプロパガンダ写真。上から朝食、昼食、夕食。)

  収容者、収容経験者に入管のウェブサイトの写真を見てもらうと、みんな「ちがう!」と言います。朝食のパンにはジャムがついてないそうです。魚は、じゅうぶんに火がとおっていないうえに、鮮度がわるいのか、いつも変なにおいがするそうです。3月の地震後には、とくに野菜がわずかしか出ないなど、食事の内容が非常に粗末な状態がつづいているそうです。
  大地震直後には、茨城県では食材が手にはいりにくくなっていたのはたしかなので、一時的に食事の質がわるくなるのは、理解できます。しかし、東日本入管センターには、職員と一般の来訪者が利用できる食堂がありますが、そこではバイキング形式でなかなか立派な食事を600円(職員は500円)でおなかいっぱい食べられます。地震から4ヶ月たった現在、牛久市のスーパーにも、地震前の水準の量の食品がならんでいます。
  これはふしぎな話ではないでしょうか? これはミステリーです。情報を整理してみましょう。

  1. 地震から時間がたち、いまや茨城県では食材が手にはいりにくいということは、とくにない。
  2. にもかかわらず、地震直後に食事がまずしくなって以降、現在までそれが改善されていない。
  3. 収容者ひとりあたりの食事のための予算は、入管の規定できめられているはず(1日1000円ぐらい?)。

  となると、収容者にだす食事のための予算があまるはずですが、そのあまったお金はいったいどこに消えてしまっているのでしょうか? お金は、ゆうれいでもなければ、けむりでもありませんから、あるはずのお金が使ってもいないのに消えるなんてことは、ふつうありません。いったいどういうことなのでしょうか? なぞは深まるばかりです。

  さて、このように入管収容施設の処遇がひどいのは、入管職員の収容者にたいする配慮が「たりない」からだけではありません。かれらは、意図的に(わざと)処遇をわるくしているのです。それは、収容者を身体的・精神的にいためつけて、「帰国同意書」にサインさせるのがかれらの仕事だからです。その目的のために入管職員は、ありとあらゆる手段をとろうとします。窓の外の景色をみえなくすることからはじまり、収容者の希望をくじく言葉をかけること、ろくな食事をさせないこと、病気になってもまともな医療を受けさせないことにいたるまで、さまざまな手段をつかって、収容者をいびりたおそうとするのです。
  3月の地震直後に、入管の収容者たちは、地震の被害者のための義援金をあつめ、寄付しました。
  また、東京入管や西日本入管センター(大阪府茨木市)では、「自分たちの一日3度の食事を2度にへらして、あまったぶんのお金を被災地に送ってほしい」という要望書を連名で提出するうごきもありました。
  日本の入管がやっていることは、そういったひとたちへの仕打ちとして、あまりにもひどいのではないでしょうか?
  収容者たちは、みずからの状況をすこしでもよくし、自分たちの人権を回復するために、立場のちがい(難民、日本人配偶者、移住労働者など)や国籍をこえて話しあい、協力して、入管の人権侵害に立ち向かってきました。そのことは、このブログでもつたえてきたとおりです。今回のような共同での意見書提出もその一環です。
 こうした収容者たち自身のたたかいを外側からサポートする人が必要です。東日本入管センター(茨城県牛久市)、東京入管(東京都品川)、東京入管横浜支局(神奈川県横浜市)で、わたしたちと一緒に面会に入っていただけるボランティアを募集します。関心をもたれたかたは、「仮放免者の会」のメールアドレス[junkie_slip999@yahoo.co.jp]までご連絡ください。




[ひらがな・カタカナ]
  にゅうこく・かんりきょくの こうしきウェブサイトには、「しゅうようしせつに ついて」という ページが あります。にほんの じゅうみん(とうぜん ビザの ない がいこくじんも ふくまれます)の ぜいきんによって うんえい されて いる にゅうこく・かんりきょくが、じぶんたちが いかに しゅうようしゃの じんけんを だいじに しているか、せつめい・せんでん して いる ページです。しゃしんつきで、 にゅうかんの しゅうようしせつの なかの ようすが わかりやすく しょうかい されて おります。しゅうよう されるのは、それ じたいで さまざまな じゆうを うばわれる ことですが、にゅうかんの ウェブサイトを みる かぎりでは、それなりに しゅうようしゃの じんけんに はいりょ されて おり、かいてき とまでは いえないにせよ、なかなか わるくない ところの ようには みえます。


  ところが、にゅうかんに しゅうよう された ひとたちに きいて みると、どうも はなしが ちがいます。「かりほうめんしゃの かい(PRAJ)」では、いばらきの ひがしにほん・にゅうかんセンターの ブロックごとに、にゅうかんの ホームページの コピーを めんかいの ときに くばりました。また、しゅうよう された けいけんが あり、いま かりほうめんちゅうの PRAJメンバーたちと いっしょに、この入 にゅうかんの ページを みて、はなしあいを しました。
  みんな くちを そろえて いうのは、にゅうかんの せつめい・せんでんは おおうそ、でたらめ、インチキだらけだということです。
  あらあら。ぜいきんに よって うんえい されて いる にゅうこくかんりきょくは、ぜいきんを はらって いる にほんの じゅうみん(とうぜんビザのない がいこくじんも ふくまれます)に せつめいの せきにんが ある はずですが、そこで ウソはっぴゃく、でたらめな せつめいを して いるのだと したら、これは だいもんだい! ぜいきんを はらってる ひとを だまして いる ことに なりますから、たんとうしょくいんには しょぶん(きゅうりょうを へらすなど)が ひつようでは ないでしょうか?
  たとえば、ページの いちばん うえには、「収容施設の構造及び設備は,通風,採光を十分に配慮しており,冷暖房が完備されています」(しゅうようしせつは かぜや ひかりが はいるよう じゅうぶん はいりょ して おり、れいぼう・だんぼうが ちゃんと ついてます)と かいて ありますが、これは ウソです。ひがしにほん・にゅうかんセンターでは、まどの ぜんめんに そとからの ひかりを さえぎる かみが はられて います。しゅうようしゃは、いっさい そとの ふうけいを みる ことも できず、また その ひの てんきを しる ことも できません。しゅうよう けいけんしゃは いいます。「じゆうの ないしゅうよう せいかつでは、まどから きの はっぱの いろの へんかを みたり、とんで くる とりを みる こと ぐらいしか たのしみが ないのに、いばらきでは その じゆうすら うばわれて いる」と。
  また、かぜとおしに はいりょ して いる という にゅうかんの いいぶんも、ウソです。「あついから まどを あけて ほしい」と ようきゅう すると、しょくいんは そう ようきゅう した しゅうようしゃを ひとりべやに かくり する という いやがらせを おこなったりも します。


  うえで しょうかい した 3Aと 3Bブロックの いけんしょが もんだいに して いる しょくじに ついても おなじです。


  しゅうようしゃ、しゅうよう けいけんしゃに にゅうかんの ウェブサイトの しゃしんを みて もらうと、みんな「ちがう!」と いいます。ちょうしょくの パンには ジャムが ついて ない そうです。さかなは、じゅうぶんに ひが とおって いない うえに、ふるく なった さかななのか、いつも へんな においが する そうです。3がつの じしんの あとからは、とくに やさいが わずかしか でない など、しょくじの ないようが ひじょうに そまつな じょうたいが つづいて いる そうです。。
  だいじしんの すぐ あとには、いばらきけんでは たべものが てに はいりにくく なって いたのは たしかなので、いちじてきに しょくじの しつが そまつに なるのは、りかい できます。しかし、ひたしにほん・にゅうかんセンターには、しょくいんと いっぱんの らいほうしゃが りよう できる レストランが ありますが、そこでは バイキング けいしきで なかなか りっぱな しょくじを 600えん(しょくいんは 500えん)で おなか いっぱい たべられます。じしんから 4かげつ たった げんざい、うしくしの スーパーマーケットにも、じしんの まえの すいじゅんの りょうの やさいや にくや さかなが ならんで うられて います。
  これは ふしぎな はなしでは ないでしょうか? これは ミステリーです。じょうほうを せいり して みましょう。

  1. じしんから じかんが たち、いまや いばらきけんでは たべものを かうのが むずかしい ということは、とくに ない。
  2. にもかかわらず、じしんの すぐ あとに しょくじが まずしく なって いこう、げんざいまで それが かいぜん されて いない。
  3. しゅうようしゃ ひとりあたりの しょくじの ための よさんは、にゅうかんの ルールで きめられて いるはず(1にち 1000えん ぐらい?)。

  となると、しゅうようしゃに だす しょくじの ための よさんが あまる はずですが、その あまった おかねは いったい どこに きえて しまって いるのでしょうか? おかねは、ゆうれいでも なければ、けむりでも ありませんから、ある はずの おかねが つかっても いないのに きえる なんて ことは、ふつう ありません。いったい どういう ことなのでしょうか? なぞは ふかまる ばかりです。

  さて、このように にゅうかんの しゅうよう しせつの しょぐうが ひどいのは、にゅうかん しょくいんの しゅうようしゃに たいする はいりょが 「たりない」から だけでは ありません。かれらは、いとてきに(わざと) しょぐうを わるく して いるのです。それは、しゅうようしゃの からだと こころを いためつけて、「きこく どういしょ」に サイン させるのが かれらの しごとだからです。その もくてきの ために にゅうかんの しょくいんは、ありとあらゆる しゅだんを とろうと します。まどの そとの けしきを みえなく する ことから はじまり、しゅうようしゃの きぼうを くじく ことばを かける こと、ろくな しょくじを させない こと、びょうきに なっても まともな いりょうを うけさせない ことに いたる まで、さまざまな しゅだんを つかって、しゅうようしゃを いびり たおそうと するのです。
  3がつの じしんの すぐ あとに、にゅうかんの しゅうようしゃたちは、じしんの ひがいしゃの ための ぎえんきんを あつめ、きふ しました。


  また、とうきょう・にゅうかんや にしにほん・にゅうかんセンター(おおさかふ いばらきし)では、「じぶんたちの いちにち 3どの しょくじを 2どに へらして、あまった ぶんの おかねを ひさいちに おくって ほしい」という ようぼうしょを みんなで サインして だす うごきも ありました。
  にほんの にゅうかんが やって いる ことは、そういった ひとたちへの しうち として、あまりにも ひどいのでは ないでしょうか?
  しゅうようしゃたちは、みずからの じょうきょうを すこしでも よくし、じぶんたちの じんけんを とりもどす ために、たちばの ちがい(なんみん、にほんじんと けっこん している ひと、はたらきに やってきた ひとなど)や こくせきを こえて はなしあい、ちからを あわせて、にゅうかんの じんけん しんがいに たちむかって きました。その ことは、この ブログでも つたえて きた とおりです。こんかいの ような きょうどうでの いけんしょ ていしゅつも その いっかんです。
 こうした しゅうようしゃたち じしんの たたかいを そとがわから サポート する ひとが ひつようです。ひがしにほん・にゅうかんセンター(いばらきけん うしくし)、とうきょう・にゅうかん(とうきょうと しながわ)、とうきょう・にゅうかん・よこはま・しきょく(かながわけん よこはまし)で、わたしたちと いっしょに めんかいに はいって いただける ボランティアを ぼしゅう します。きょうみを もたれた かたは、「かりほうめんしゃの かい(PRAJ)」の メールアドレス[junkie_slip999@yahoo.co.jp]まで ごれんらく ください。