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Monday, March 4, 2013

仮放免者問題と強制送還について――この10年の入管行政をふりかえって

  すでに告知と参加の呼びかけをしておりますとおり、仮放免者の会では、3月6日(水曜)、チャーター機による強制送還に反対するデモをおこないます。


  このデモは、昨年12月19日付けで『毎日新聞』に報じられた法務省方針を受け、これに反対するものです。「不法滞在者:チャーター機で一気に強制送還へ 法務省方針」と題された『毎日新聞』記事によると、「法務省幹部」が、以下の内容を記者に語ったとのことです(記事全文は、上記リンク先の末尾に転載しております)。

  1. 退去強制令書を出されたものの送還を拒否し、収容を解かれている仮放免者はこの5年間で約3倍に増え、2500人にのぼる。
  2. 一般客も乗り合わせる航空機で対象者を1人ずつ送り出す従来の方法だと、送還対象者とこれに付き添う入国警備官2~5人の航空券代がかかり、コストが高くつく。
  3. そのうえ、上記従来の送還方法では、送還拒否者が出発前の機内で大声を出すなどして航空会社から搭乗を拒否され送還が中止となることもある。
  4. そこで、法務省は、「不法滞在者」の強制送還を効率化するため、一度に多数を帰国させられる専用チャーター機の活用する方針で、来年度予算の概算要求で関連費用約3000万円を計上しようと考えている。

  要するに、この5年間で急増した、送還未執行の送還対象者を、コストが割安なあらたな方法でいっきに送還してしまおう、というプランです。しかも、この航空機をチャーターしての送還方法ならば、従来の方法のようには人目につかないかたちで、いやがる送還対象者の抵抗を暴力的に制圧できるというわけです。

  同意なき送還は、それ自体が、送還対象者の生活の基盤を破壊し、パートナーや親子や友人たちとをひきさく暴力であり、深刻な人権侵害です。難民申請者の場合、帰国には殺害・投獄・暴行等の危険も考えられます。

  もちろん、同意なき送還は、このような人道上みすごせない深刻な問題をはらんでおり、人権侵害であるという点で、これに反対しなければならないものです。しかし同時にこのあらたな送還方法は、法務省が、すでに破綻したことのあきらかな2003年以来の方針にむりに固執しようとするものであって、入管行政がみずからの矛盾を暴力的に「解決」しようとするものでもあります。その点を、ここ10年ほどの入管行政の経緯をふりかえりながら、以下に述べていきたいと思います。
 
◇    ◇    ◇    ◇    ◇    ◇    ◇    ◇    ◇


1.  '00年代前半

1-1  「不法滞在者の半減5か年計画」と差別扇動
  上記『毎日新聞』記事によると、入管が送還執行を事実上留保している仮放免者の数が、この5年間で約3倍に増え、2500人にのぼるとのことです。なぜ現在このような状況になっているのか。この点を問うてみる必要があります。

  そこを考えていく際には、80年代から90年代なかばにかけて急増した超過滞在者数(ピーク時で30万人近くと言われる)が、現在およそ5分の1にまで激減した過程で、入管政策がどのように関わっているのか、みていかなければなりません。

  日本における超過滞在者数(法務省が言うところの「不法残留者」の数)がピークをむかえるのは、1990年代の前半です。法務省『出入国管理白書』(以下、『白書』)によると、1993年5月1日の29万8,646人が過去最高として記録されています(注1)。『白書』によると、この数はその後一貫して減り続け、10年後の2005年には20万7,299人に、最新のデータである2012年の推計では6万7,065人までに減少しています。

  1993年にピークをむかえた超過滞在者数が '00 年代前半まで減少し続けた大きな要因としては、バブル崩壊後長くつづく景気低迷が影響していたと考えられます。しかし、2003年、2004年以降の減少については、これにくわえて法務省の入管行政の方針転換、「非正規滞在外国人狩り」とも呼べる摘発の激化の影響を考えなければなりません。

  2005年の『白書』は、前年比での「不法残留者」の減少にふれたうえで、その要因をつぎのように分析しています。

 これ[引用者注:不法残留者の減少]は,依然として低迷を続ける経済・雇用情勢が大きく影響していることに加え,厳格な入国審査の実施,関係機関との密接な連携による入管法違反外国人の集中摘発の実施,不法就労防止に関する積極的な広報の実施などに加え,平成16年[引用者注:2004年]は当局が行っている不法滞在者の半減5か年計画の初年であり,総合的な不法滞在者対策の効果によるものと思われる。[引用者注:強調は引用者]

  ここで言及されている「不法滞在者の半減5か年計画」とは、2003年12月に政府の犯罪対策閣僚会議が発表した「犯罪に強い社会の実現のための行動計画」のなかにうたわれたものです。

 近年、外国人犯罪の深刻化が進み、その態様も、侵入強盗等の凶悪なものが増加しているほか、暴力団と連携して犯罪を敢行している例も多くみられるようになっている。我が国の不法滞在者は25万人程度と推計されているが、これら犯罪の温床となる不法滞在者を、今後5年間で半減させ、国民が安心して暮らすことができるようにし、また、平穏かつ適法に滞在している多くの外国人に対する無用の警戒感を払拭することが必要である。

  同じ年の10月には、法務省入管、東京入管、東京都、警視庁の4者が、「首都東京における不法滞在外国人対策の強化に関する共同宣言」を出しています。

 不法滞在者は、その多くが不法就労活動に従事しているほか、安易に金を得るため犯罪に手を染める者も少なくなく、さらには、暴力団等と結託し、あるいは犯罪グループを形成するなとして、凶悪犯罪に関与する者も増加しているなど、一部不法滞在者の存在が、多発する外国人組織犯罪の温床となっているとの指摘があり、我が国の治安対策上、これら不法滞在者問題の解決が喫緊の課題となっている。

  このように、法務省をはじめとする当局は、「不法滞在者」があたかも犯罪の温床であるかのような偏見にみちた印象づけをおこないました。そうして在留資格のない外国人住民に対する「国民」の不安と恐怖、さらには憎悪を煽りかきたてることで、その暴力的排除(摘発と国外追放)を正当化しようとしたわけです。ある属性(この場合、外国人であることや在留資格がないこと)と凶悪犯罪を結びつけて語ること自体が差別の扇動と言うべきですが、政府と法務省、さらに東京都は、こうした差別扇動を組織的におこなうことによって、みずからの暴力に「国民」による理解と支持をとりつけようとしてきたと言えるでしょう。


1-2  法務省の方針転換――「不法滞在」「不法就労」への法適用の厳格化
  私たち「仮放免者の会」には、この「不法滞在者の半減5か年計画」のはじまる2003年より前から日本に滞在している会員が多数いますが、この2003~2004年前後から、入管および警察による摘発が急にきびしくなったという点で、かれら・かのじょらの証言は一致しています。

「以前はつかまるとか帰されるとかの問題はあまりなかった。外国人にはアパートを貸さない大家が多く、それが一番の問題だった」「昔は、交番のおまわりさんに道を聞いたりしてたものだけど、仲間がどんどんつかまって帰されて。それからは警察には気をつけるようになった」「取締りがきびしくなるまえ、自動車で追突事故を起こしてしまって警察を呼んだことがあった。罰金は払ったけれど、オーバーステイは問題にされなかった」「当時は入管と警察は別だった。警察官は、オーバーステイなんてよく知らなかったし、興味もなかったよ。職務質問されて『オーバーステイです』と言っても、『あ、そう。犯罪やってないよな?』で終わりだった」などなど。

  2003~2004をさかいにして急に取締りがきびしくなったということは、裏をかえして言えば、それ以前の80年代後半から'00年代初頭にかけては、入管と警察は「不法滞在」や「不法就労」について厳格な法の適用をしていなかったということです。いわば、「見逃して」いたわけです。

  あらためて言うまでのことではありませんが、日本の多くの製造業や建築現場、飲食店などは、外国人の働き手にささえられてきました。そのなかには、多くの非正規滞在者がいました。こうした非正規滞在の外国人は、日本の社会・経済に欠かせない存在と考えられていたからこそ、法務省は、かれら・かのじょらを「不法」状態においたまま、「見逃して」いたのでしょう。日本の社会・経済は、非正規滞在の外国人を安価でフレキシブルな労働力として利用してきたわけですが、それが可能だったのは、この人たちを法務省が「不法」状態という不安定な法的地位に置いたまま放置してきたからです。民間(とりわけ財界)と入管行政のあいだには、あきらかに共犯関係がありました。

  ところが、法務省は、2003年の「犯罪に強い社会の実現のための行動計画」を受けて、厳格な法の適用をおこない、「不法滞在者」を5年で半減させるという方向に、その方針を転換させました。その方針にそって、「厳格な入国審査の実施,関係機関との密接な連携による入管法違反外国人の集中摘発の実施,不法就労防止に関する積極的な広報の実施」へとのりだしたわけです。

  おそらく、この入管行政の転換は、派遣労働を原則自由化した1999年の労働者派遣法改定を反映したものとみられます。入管が「不法滞在者」の集中的な摘発へとのりだす2004年とは、まさしく派遣労働の自由化が製造業の分野にもおよんだ年にほかなりません。派遣労働の自由化ないし規制緩和とは、製造業をになってきた非正規滞在の外国人労働者を、非正規雇用化された日本人あるいは在留資格・就労資格のある外国人の労働者へとおきかえようとするものだったと言うこともできます。そして、法務省・入管は、この時期に政策的にあらたにつくり出された非正規雇用の労働者を労働者派遣事業者が送り込めるように、製造業分野から非正規滞在の労働者を追い払っておく。このようなかたちで、入管行政は、労働行政の下請けをになったのだと言ってよいでしょう。

  そして、入管が警察をはじめとする「関係機関との密接な連携」によって集中的な摘発をおこなった結果、法務省が2004年時点で約25万人と推定していた「不法滞在者」数は、5年後の2009年には約12万8千人~13万6千人(推定)まで減少するにいたります。2003年に政府がかかげた「半減計画」はほぼ達成されたことになります。
 
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2.  '00年代後半

2-1  外国人労働者の脱法的な利用から法適用の厳格化へ
  このように、入管行政は2003年ごろから、外国人を「不法」状態に置きながら労働力として利用するものから、法をより厳格に適用するかたちで外国人の在留と就労を管理していくものへの転換を指向してきたとひとまずは言えます。

  こんにち法務省は、しきりと「不法滞在」「不法就労」という言葉をもちいて、これに対する取り締まり・摘発を正当化しようとします。しかし、バブル期にこの「不法」状態を作り出してきた責任は入管行政にもあるし、日本の社会・経済がその「不法」状態を利用して利益を得てきた点も忘れるわけにはいきません。

  こうした従来の入管行政のあり方が非常に問題のあるものなのは、言うまでもありません。入管は、外国人の働き手(注2)を「不法」の存在に置くことで、かれら・かのじょらに対してきわめて大きな権限をもつことができます。「不法滞在」「不法就労」とは、文字通り滞在または就労が「不法」化されているということであり、それはすなわち日本で生活し生存していくことそのものが、あらかじめ「不法」化されているということです。したがって、入管はこの外国人をいつでも好きなときに摘発して退去強制を命じることができます。一方、入管は非正規滞在者を「滞在」「就労」させておくのが都合がよいと判断すれば、摘発を見送っていわば「泳がせて」おくこともできます。外国人の働き手をあらかじめ「不法」化しておくことで、入管はこうした恣意的な権力行使を――形式上は「合法的に」――おこなうことができるわけです。

  実際、集中的な摘発に乗り出す2003年以前の入管行政は、日本の社会・経済に必要な外国人の働き手を、いわば脱法的に導入するものだったと言えます。非正規滞在者の立場から言うならば、かれら・かのじょらは日本の社会・経済において欠かせない役割をにないながら(当然、納税もしています)、きわめて不安定な法的な地位しか与えられてこなかった、いやそれどころか、恣意的に取り締まられ国外追放を受けうる存在として、法の外に置かれてきたわけです。

  ただし、'00年代前半以降、入管行政をふくむ日本政府の方針は、このような、労働力としての非正規滞在者を「不法」化した状態で導入し、脱法的に利用するという従来のあり方からの転換・脱却を志向しているようにもみえます。

  外国人の働き手を受け入れようとするのであれば、脱法的に外国人の働き手を利用するのではなく、厳格に法を適用し、合法化されたかたちでおこなうべきでしょう。それは、なにより外国人の働き手の人権尊重の観点から重要なことです。入国管理に関して行政権力が事実上野放しにされてきた従来のあり方をあらため、そこに法による厳格かつ公正な制約を課していくことは、必要です。

  しかし、入管行政が、脱法的に外国人を利用するようなあり方から、より厳格な法適用を志向するものへと転換しつつあるとして、だからといって、それまでまさに働き手として利用してきた外国人に対して「方針が変わったので日本から出ていってください」などと言うのでは、筋がとおりません。こんなまったく筋のとおらないことをやろうとしても、破綻するのは当然です。その破綻の明白なあらわれが、冒頭でふれた、入管が送還執行を事実上留保している仮放免者が、この5年間で約3倍に増え、2500人にのぼるという現状です。

  では、「この5年間」において、法務省・入管が具体的にどのような方針でのぞんできたのか。その点をつぎにみていきましょう。


2-2  2009年の入管法改定と在留カード
  この5年間のうちには、まず2009年の入管法(出入国管理及び難民認定法)の改定があります。この改定の大きなポイントのひとつは、2012年7月9日に施行されることになる新しい在留管理制度の構築にあります。これは、従来、各市区町村が管理してきた外国人登録制度を廃止し、外国人住民の情報管理を法務省に一本化するものです。従来の制度においては、非正規滞在者であっても、居住する自治体に届け出れば、外国人登録が可能であり、IDカードとして外国人登録証の発行を受けることができました。ところが、あたらしい在留管理制度においては、非正規滞在者は在留カードの発行を受けることができません。

  重要なのは、この新しい在留管理制度が「非正規滞在者は存在しない」ことを前提に設計されているということです。法務省は、2009年時点で約12万8千人から13万6千人の非正規滞在者がいると推定していました。そのまま、あたらしい制度に移行するならば、日本政府の在留管理の対象からもれるような存在が12万人以上の規模で発生することになるわけです。当然これは法務省にとってこのましい状況ではありません。というよりも、法務省は、改定入管法が完全施行される4年後の2012年には、非正規滞在者が存在しない、あるいは存在したとしても無視できるほどの少数になっているという前提で、新制度を設計したと考えるべきでしょう。

  当然、ほうっておいても12万人をこえる非正規滞在者が自然に消えてなくなるということはないわけですから、法務省としてはこれらの非正規滞在者のほとんどを摘発し、送還するという強い決意をもっていたと考えられます。

  『白書』に公表されている各年の送還数などのデータからも、法務省のそうした決意の強さはうかがい知ることができます。

  さきに述べたように、2003年末に発表された「不法滞在者の半減5か年計画」は2009年にほぼ達成され、この間、非正規滞在者は「半減」しました。一方でその間、「国費送還」と呼ばれる送還の件数は増えつづけています。1999年から2003年まで2ケタで推移していた「国費送還」の件数は、2004年に3ケタの大台(119件)にのり、その後も2009年まで増加しつづけます(05年192件, 06年239件, 07年361件, 08年383件, 09年438件)。

  送還対象者の大多数は、退去強制令書を受け入れ、自分で旅費(航空機券代)を用意しての「自費出国」というかたちで、送還されます。「国費送還」とは、送還には同意したものの旅費を用立てられない人や、送還に同意しない人を、国費で送還することです。後者の送還に同意しない人については、入管はむりやり身体を拘束して送還します。これは「国費むりやり送還」と呼ばれます。

  2003年以降、入管と警察による強力な摘発がおこなわれた結果、非正規滞在者が5年間で半減したことは先にみたとおりですが、2006年からはこれにともない、退去強制令書が発付される件数も年々減っていきます。また、年間の送還の総数(その大部分は自費出国)も2005年から減少に転じ、現在にいたります。

  このように、非正規滞在者数の激減にともなって '00年代の中ごろから退去強制令書の発付件数および送還総数が減りつづけるなかで、しかし国費送還の件数だけが増加していくわけです。国費送還のすべてがむりやり送還ではないものの、この時期の国費送還の激増は、むりやり送還増加の影響によるものと考えてまちがいないでしょう。

  このブログでもたびたび報告してきたとおり、入管の収容施設での収容は「拷問」と言っても言い過ぎでないほどに過酷ですから、退去強制令書が発付されて収容されたひとは、その多くが「自費出国」で帰国していきます。そして、送還されるひとの大多数は「自費出国」です(最近の国費送還のピークにあたる2007年~2009年の3ヶ年とも、「自費出国」が送還総数の96%をこえています)。

  しかし、過酷な収容をこうむりながらも送還を拒否するひとがおり、入管はむりやり送還をひんぱんにおこなうことによって、そうした送還拒否者を帰国に追いこもうとしたものと思われます。

  実際には、送還拒否者の身体を拘束してひとりずつ飛行機にのせる送還の方法は、先の『毎日』の記事にもあったように「コスト」もかかりますし「効率」もよくないので、入管にとってこの方法だけで送還拒否者を減らすのは簡単でありません。入管があわせておこなうのが、むりやり送還をちらつかせての帰国強要です。入管は送還拒否者に対して「あなたをむりやり飛行機に乗せることもできるのだから、それがいやなら自分で帰りなさい」と脅しをかけて「自費出国」に追いこむ、という手段をしばしばとります。

  入管がこうしてむりやり送還を年ごとにどんどん増やしながら、きわめて強硬かつ強引に送還拒否者を一掃しようとしたのが、'00年代後半のことです。そして入管を強硬姿勢にかりたてていたものこそが、2012年7月に完全施行される09年の改定入管法にほかなりません。つまり、「不法滞在者」が存在しないという前提で設計された新しい在留管理制度の開始にそなえて、「不法滞在者」を一掃しようとくわだてたわけです。
 
◇    ◇    ◇    ◇    ◇    ◇    ◇    ◇    ◇


3.  2010年以降

3-1  非正規滞在者一掃方針の破綻と仮放免者問題
  ところが、以上のような厳しい送還方針は、文字どおり「血を見る」結果をもたらしました。

  国費むりやり送還の頻発、さらに収容の長期化や、仮放免で収容を解かれた人の再収容、再々収容があいつぐなかで、2010年2月に東日本入国管理センターに収容されたブラジル人男性が自殺に追いこまれます。翌4月にはやはり東日本入国管理センターで韓国人男性が自殺に追いこまれます。

  また、同じ年の3月22日には、強制送還中のガーナ人男性が成田空港で死亡する事故が起こりました。
  こうした痛ましい事件がつづくなか、3月には西日本入国管理センターで、5月には東日本入国管理センターで、被収容者の大規模集団ハンストがたたかわれることになります。過酷な収容所のなかで送還を拒否する被収容者たちはそれぞれが、送還によって迫害等の危険が予想される、あるいは家族がバラバラになるなど、帰るに帰れない深刻な事情をかかえています。入管の強硬な送還方針は、そうした被収容者たちの壮絶な抵抗をまねいたのです。また、送還中のガーナ人の死亡事故は、被収容者・仮放免者の大きな悲しみと怒りをひきおこしたばかりでなく、これによって入管にとってのむりやり送還のハードルが高くなったこともたしかです。

  このように、'00年代後半の入管の強硬な送還方針の結果、私たちにとって、国費むりやり送還、長期収容、再収容に反対・抵抗せざるをえない状況が形づくられてきたわけです。その結果として、5年前とくらべて3倍増の2500人の仮放免者が存在するという現状があります。これは、昨年7月にスタートした新しい在留管理制度の対象からもれる住民が、未摘発の非正規滞在者をのぞいても2500人も存在しているということであって、法務省・入管の想定していなかった事態にちがいありません。


3-2  仮放免者問題の公正で人道的な解決を
  チャーター機による一斉送還という法務省のあらたな方針は、法務省にとってのこの想定外の事態を「解決」しようとするものなのでしょう。しかし、このように強硬かつ強引に非正規滞在者をまさに一掃しようとする方針は、2010年にすでに破綻したものと言わざるをえません。

  なるほど法務省・入管にとっては、法を「厳格に」適用するという意識のもと、このたびの方針を実現しようと考えているのでしょう。しかし、以上展開してきたように、この10年あまりのスパンで入管行政の変遷をふりかえってみるならば、その「厳格」さもまた、恣意的でご都合主義的な法適用の一環であり、筋のとおらないものと評価せざるをえません。

  筋の通らない暴力的な「解決」は、帰るに帰れない仮放免者たち、送還をこばんでいる被収容者たちにとりかえしのつかない悲劇をもたらすことはもとより、むりやり送還を直接執行する入国警備官や収容所で日々被収容者に接しつきあっている職員らにも、やはりとりかえしのつかない傷をのこすことになると危惧します。

  私たちがのぞむのは、暴力的な「解決」ではなく、公正で人道的な解決です。




【注】

注1: 法務省『出入国管理白書』。統計的な数字は、以下にあげるものもふくめ、すべてこの『白書』による。
注2: ここでいう「働き手」は、狭い意味での被雇用の「労働者」だけでなく、配偶者などの立場で家事・育児・介護などをシャドーワークとしてになう働き手や自営業者などもふくむ。

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