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Wednesday, May 27, 2015

【連載】「難民偽装問題」をめぐる読売報道の問題点(第1回)――偽装された関心としての「難民保護」


1.はじめに

  2月以来、『読売新聞』紙上において、難民認定審査のいわゆる「偽装申請」を問題とした記事がたてつづけに掲載されております。読売は一連の記事をとおして、「偽装申請」によって「救済されるべき難民」の保護に支障が生じるとしたうえで、難民認定制度の「乱用」を防止する制度改定の必要性を主張しています。

  しかし、読売の報道は、あきらかに入管当局からリークされたと思われる情報に大きく依存したものであり、公平な報道とは言いがたいものです。難民認定制度の改定にむけた読売の議論は、この制度がこれまでどのように運用されてきたのかについての批判的な検証をいっさい欠いたまま、法務大臣や入管幹部の発言をそのままなぞったものになっているのです。

  私たちとしては、法務省のめざす制度改定が、難民認定審査の手続きをますます骨抜きにしかねないものと危惧しており、また、そのような制度改定にむけて報道機関が世論誘導の役割をになおうとしているのを看過できません。

  そういうわけで、読売報道の問題点を指摘し、読売新聞社をはじめとする報道各社に、独立した報道機関としての公平かつ多面的な報道を期待したいと思います。


  最初に、「偽装申請」問題に関して、2月以来に読売新聞に掲載された記事の一覧をあげておきます。

[a]「難民申請 偽装を指南 ネパール人を摘発 就労制度を悪用」(2月4日付朝刊1面)
[b]「『申請 ウソでも受理』難民偽装 摘発の男 100人指南」(2月4日付朝刊社会面)
[c]「実習先を逃亡  難民申請 ブローカー指南  高い収入求め」(2月6日付朝刊1面)
[d]「難民偽装で『賃金3倍』  逃亡後に転職  人手不足  企業も依存」(2月6日付朝刊社会面)
[e]「難民認定『適正化図る』法相、偽装申請問題」(2月6日付夕刊15面)
[f]「ミャンマー33人難民申請  偽装問題  実習先を逃亡後」(2月7日付朝刊1面)
[g]「来日1年 全員逃亡  『東京で稼ぐ』難民申請  ミャンマー実習生 当初から計画か」(2月7日付朝刊社会面)
[h]「窮地の難民認定制度  改正で申請急増  就労目的で悪用か」(2月8日付朝刊3面)
[i]「難民偽装1  複数ブローカー暗躍」(2月11日付朝刊社会面)
[j]「難民偽装2  実習生 生活費2万円  『我慢限界』逃げ出し申請」(2月12日付朝刊社会面)
[k]「難民偽装3  外国人集め裏ビジネス  『派遣すれば3ヶ月500万円』」(2月13日付朝刊社会面)
[l]「難民偽装4  労働力 外国人頼み 「いなければ工場止まる』」(2月14日付朝刊社会面)
[m]「難民偽装5  制度改正 見通し甘く  申請激増『就労制限の検討も』」(2月15日付朝刊社会面)
[n]「難民偽装問題 悪用防ぐ制度見直しが必要だ」(2月22日付朝刊社説)
[o]「難民申請  就労許可厳格に  偽装防止  『一律に資格』見直し」(3月8日付朝刊1面)
[p]「技能実習制度維持に必要  偽装難民防止」(3月8日付朝刊2面)
[q]「難民認定申請  最多5000件  14年、2533件異議申し立て」(3月11日付朝刊2面)
[r]「難民申請『送還逃れ』か  不法滞在者 法改正後4倍 年800件」(3月29日付朝刊1面)
[s]「『帰りたくない』難民申請  不法滞在『送還逃れ』  施設内で手口『説明会』」(3月29日付朝刊社会面)




2.法務大臣・入管当局幹部・読売新聞の一致した見解

  それぞれの記事には、おいおい具体的にふれていきますが、まずは読売が難民認定制度について、どのような問題意識をもっているのか、みておきます。

  入管は現在、基本的にはつぎのような制度運用をとっています。すなわち、正規の在留資格を取得して日本に在留する外国人が、その在留期間内に難民申請を行った場合に、申請から6ヶ月を経過したあとに就労を許可するというものです。読売は、こうした制度運用が「悪用」されているといいます。つまり、「就労目的の外国人」が観光などを理由に在留資格を取得して来日し、難民申請をすることで就労許可を得て就労しているのだと、あるいは技能実習を理由に来日した者が、難民申請して実習先から逃亡し、より良い労働条件の企業に転職しているのだと。

  難民申請者が「就労目的」であることと、その人が難民に該当するのかどうかということは、べつの問題です。「就労目的」であるから、あるいはそうみえるからといって、その申請者が難民に該当しない、また「偽装難民」であるとは言えないのです。この点については、次回くわしく論じることにしてここではおきますが、読売は「就労目的の外国人」の難民申請は「偽装申請」であるときめつける前提にたっています。そのうえで、この「偽装申請」が審査の長期化をもたらし、ひいては「救済されるべき難民の保護の遅れ」([n]記事)をまねくから制度の見直しが必要だと主張するわけです。

  就労目的の外国人が安易に難民申請に流れるのを防ぐ手立ても必要だ。入管当局幹部は「明らかに難民に当たらない申請を速やかに退ける方法に改め、申請者の就労にも制限を設けるしかないだろう」と話す。([l]記事)

  『読売』の一連の報道は、全体としてこの「入管当局幹部」の主張に沿うものになっています。2月6日の[e]記事では、「[就労を目的とする]制度の乱用防止について、法改正も含めた形で検討している」との上川法相の発言を論評ぬきで報じ、さらに2月22日の社説ではこの法相発言と上記「入管当局幹部」の主張に完全に沿ったかたちで、以下のように述べます。

 審査の長期化は、救済されるべき難民の保護の遅れにつながる。看過できない状況だ。上川法相は記者会見で「適正化を図ることが重要だ」と述べ、制度を見直す意向を明らかにした。
  難民調査官などを増員する一方、申請理由が明らかに難民に該当しないケースは、早い段階で審査対象から外すなど、認定審査の効率化を図る必要がある。

  法務大臣、入管当局幹部、および読売新聞社によると、「偽装申請」は「救済されるべき難民の保護の遅れにつながる」から問題である、というわけです。こうした論拠にしたがって、難民審査の効率化と、申請者の就労制限が主張されています。




3.「救済されるべき難民」についての読売の支離滅裂な姿勢

  なるほど、「救済されるべき難民」をすみやかに保護しなければならないとの価値観を、法務大臣・入管幹部・読売新聞社の三者は共有しているかのようです。そのとおりだとすれば、まことに結構なことです。ところが、読売報道はこの点について、まったく一貫しない、つじつまの合わない姿勢をとってもいます。というのも、読売の一連の報道は、「救済されるべき難民の保護」の観点から「偽装申請」を問題視するいっぽうで、従来、日本政府が「救済されるべき難民」についてどのような政策をとってきたのかについて、ひと言もふれていないからです。

  読売記事の執筆者が「救済されるべき難民の保護の遅れ」を憂慮しているのがほんとうならば、つぎの点についての検証は欠かせないはずでしょう。すなわち、「偽装申請」の横行によって、日本の難民政策における「救済されるべき難民の保護」について、従来とのあいだにどのような変化が生じているのか(あるいは、生じつつあるのか)、という点です。「難民の保護」についての従来の実績・実情を多少なりとも参照することなしには、現在それが機能不全におちいりつつあるという評価などくだしようがないはずなのです。ところが、読売は、これまで「救済されるべき難民」がどのようにあつかわれてきたのかについて、まるで無関心であるかのように、言及をさけているのです。

  そもそも、「偽装申請」が取りざたされる以前に、日本の難民政策が「救済されるべき難民の保護」と言うにあたいする内実をそなえたものであったためしがあったでしょうか。

  たとえば、他の難民条約加盟国の多くが例年4~5ケタの難民認定数を出しているなか、日本のそれは2013年が6人、2014年が11人にとどまっています。この数字だけみても、「救済されるべき難民の保護」について、日本がこれまできわめて消極的な取り組みしかしてこなかったことはあきらかです。こうした冷淡ともいえる日本政府の難民保護についての実情はよく知られたことであって、日本の難民政策・制度について取材した経験のある記者が知らないはずがありません。

  昨年12月には、日本政府は、反政府活動家をふくむ多数の庇護希望者に対し、行政訴訟の機会を違法かつ暴力的にうばって一斉に強制送還するということすらおこなっています(【抗議声明】スリランカ・ベトナムへの集団送還について)。日本においては、「救済されるべき難民」と言うべき難民の大多数がそもそも難民と認定されていないのであって、その一部が強制送還されている事実さえあるのです。

「救済されるべき難民」がほとんど救済されていない実態についてはいっさい沈黙をきめこむいっぽうで、救済の「遅れ」をなにやら深刻ぶって憂慮してみせるという読売の報道姿勢は、支離滅裂としか評しようがありません。こうした姿勢は、「救済されるべき難民」に真剣に関心をよせているのだとすると、理解しがたいものです。この点を、以下にもうすこし具体的にみていきます。




4.難民申請者への就労制限

「入管当局幹部」は、読売の記者に対し、申請者の就労の制限と、「明らかに難民に当たらない申請を速やかに退ける」ための審査制度の改定の必要性を語ったとのことです。読売は、この「入管当局幹部」のコメントをそのままなぞるように、一連の報道で難民申請者の一部が合法的に就労を認められている現行の制度運用を問題視し、さらに社論として「認定審査の効率化」を主張しています。しかし、これらについても、「救済されるべき難民の保護」という大義名分を真に受けることはできません。

  まず、申請者の就労の制限について検討してみます。

  読売は、ネパール人ブローカーが、短期滞在ビザや留学ビザで来日した同国人たちに難民認定の「偽装」申請を「指南」していたという事例を取り上げています。また、このブローカーが難民申請を「指南」していたネパール人のなかに技能実習生がふくまれていたことや、実習先から逃亡したネパールやミャンマー出身の技能実習生が難民認定を申請して就労資格を得ている例などをあげています。そのうえで、「人道的配慮 逆手に」との見出しのもと、つぎのように述べます。

  難民認定申請の虚偽申請を指南していたブローカーの存在は、深刻な迫害から外国人を守るための制度を根底から揺るがすものだ。
  日本では1982年に難民認定制度が導入されて以降、続発する民族対立に人道的な対応を行うための改正が重ねられてきた。2004年、来日から原則60日以内としていた申請期限を撤廃し、10年以降は申請の6ヶ月後から就労を認めた。難民と主張する理由などが形式的に記載されていれば、全件審査するのも特徴だ。
  ブローカーの男はこうした配慮を逆手に取り、偽装申請を繰り返して「審査中」の状態を作り出し、合法的な就労を可能にしていた。([b]記事)

  さきにみたような、難民認定制度が「深刻な迫害から外国人を守るための制度」として運用されているとはとうてい言えない現状をふまえるならば、読売の姿勢はやはり非常に奇妙なものです。きわめて少ない難民認定数などの制度運用の実績にはいっさい触れることなく、しかし制度が「根底から揺るが」されることを憂慮してみせるのは、いったいどういうことなのでしょう。日本の難民認定制度に「根底から揺るが」されるほどの立派な「根底」があると言うなら、ぜひともその実績をあげて示してほしいものです。

  生活費の支給等の支援をするのでもなく、たかだか難民申請者の一部に「就労を認めた」ことを、「人道的配慮」と呼んでいるのもおかしな話です。公的な生活支援を受けられている難民申請者は、現状ごくごく一部に限られています。公的支援も家族などによるじゅうぶんな支援も受けられないほとんどの難民申請者は、就労資格のあるなしにかかわらず、就労しなければ生活していけない状況におかれているのです。就労が許可されるのは、読売記事にあるとおり「申請の6ヶ月後から」です。その「6ヶ月後」の就労許可も、難民申請した時点で在留資格をもっていることが要件とされるので、超過滞在であったり不法入国であった人が申請しても就労は許可されません(注)。

  つまり、難民申請者に就労を許可しないのが日本政府のとっている事実上の「原則」であって、一定の要件をみたす一部の申請者に「例外」として就労許可をあたえているにすぎないのです。生活保障が公的になされているわけでもなく、就労しなければ生活できない状態におかれたひとの就労が、言うならば制度的に「非合法化」「違法化」されているわけです。これはあきらかに基本的人権としての生存権が侵害された状態といえます。そうした人権侵害がノーマルとなっている状況において、入管は例外的に一部の申請者に就労を許可しているにすぎないのです。これを「人道的配慮」と呼ぶなら、日常的に他人をなぐっている者が一日だけなぐるのをやめたらそれも「人道的配慮」だ、ということすら言えてしまうでしょう。

  読売の報道は、一部の難民申請者に就労許可を認める「人道的配慮」が「就労目的」の「偽装申請」者に「悪用」されているとして、この制度運用をあらため申請者の就労に制限をもうける方向に世論を誘導しようとするものです。しかし、そこで読売が持ち出している「救済されるべき難民の保護」という大義名分は、言葉どおりに受け取れるようなものではまったくありません。読売は、難民申請者の一部についてその就労を「非合法化」「違法化」しないという現行の制度運用を攻撃しながら、その大義名分が難民保護だと言うのですから、こんな支離滅裂な話はありません。




5.認定審査の効率化

「認定審査の効率化」についても同様のことが言えます。読売はその「効率化」の具体案として、先に引用したように「申請理由が明らかに難民に該当しないケースは、早い段階で審査対象から外す」ことをあげています。

  難民弁護団連絡会議は、この点について「何をもって明らかに根拠のない申請とするかの判断には、明確な基準がなければなりません」として、読売が主張するような制度変更によって、難民該当性のある申請者がますます認定されなくなる危険性を具体的に指摘しています。


  ここで指摘されているように、法律知識をもたない難民申請者がほとんどであること、難民該当性を主張しうる事象に申請者自身が気づいていない場合があることなどをふまえると、「認定審査の効率化」は、難民認定されてしかるべき申請者をますますとりこぼす結果を生じさせかねないと危惧されます。ただでさえ、年間の難民認定数が2けたに達するかどうか、という惨憺たるありさまなのです。これは、国の方針として難民を保護する意思などないのだと理解するよりほかない現状です。

「救済されるべき難民の保護」などと口にするならば、むしろ必要なのは、申請者が自身ではじゅうぶんには立証しえないでいる難民該当性を、個別にていねいに拾い上げることを可能にする方向での審査プロセスの見直しであるはずで、それは「認定審査の効率化」とは正反対のものです。

  また、読売は、申請者の急増によって審査期間が長期化していることを指摘し、その急増の背景に「偽装申請」の横行がある可能性を示唆していますが、日本での難民申請数自体、他のいわゆる先進諸国とくらべて、けっして多いものではありません。UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)によると、2013年の主要難民受け入れ国の難民申請数は、ドイツ10万人以上、アメリカ合衆国8万人以上、フランス6万人以上などとなっています(【プレスリリース】先進諸国における難民の庇護申請件数が28%増加)。これに対し、おなじ2013年の日本の難民申請数は3,260人です(平成25年における難民認定者数等について(法務省入国管理局))。翌2014年は大幅増とはいえ、5,000人(平成26年における難民認定者数等について(法務省入国管理局))。

  日本は認定数のみならず、申請数においても、ケタちがいに少ないのです。地理的条件などもろもろの条件がおなじではないので単純な比較はできないものの、日本は、政府の財政規模にみあった申請者数に対応できるような審査体制の拡充において遅れているからこそ、こんにち審査期間の長期化をまねいているとも言えるのです。たかだか5,000人という年間申請者数で「難民認定制度のゆらぎ」などと大さわぎするのは、そもそも難民の受け入れ・保護に取り組む意思がないものとみなされても、おかしくはありません。




6.入管による読売等をつかった世論誘導のねらい

  以上のように、読売は難民保護という大義名分をかかげていますけれど、これを真剣に考えているとはとても言えません。読売は、たんに難民申請者の就労制限や「認定審査の効率化」の口実として、自分たち自身で真剣に考えたこともないし考えるつもりもないであろう「難民保護」というお題目を都合よく持ち出しているにすぎません。これほど、難民をばかにした話もありません。

  同様に、入管当局が読売等の報道機関をつかった世論誘導をつうじてめざしている制度変更のねらいが、難民の保護・救済にあるのではないことも、こんにちまでの難民政策の「実績」からみてあきらかなのです。とすると、そのねらいは、難民認定審査の「効率化」そのものにあると考えるよりほかなく、つまりそれは、強制送還の「効率化」ということにほかなりません。

  国際法上も入管法上も難民申請者を強制送還することはできないのであって、入管にとって難民認定制度が送還の障壁となる局面が多く存在しているのは事実でしょう。入管からすれば、本来は日本に在留できないはずの外国人のうち少なくない人が難民申請等をしているために、思うように退去強制手続きに入れない、あるいは送還を執行できないという現状があって、その障壁を取りのぞく制度変更をおこないたいという意向があるのでしょう。読売の報道は、こういった意向を忠実になぞったものといえます。

  しかし、入管の直面しているこうした現状について、「認定審査の効率化」によって「偽装申請」を排除すればよいと考えるのは、一面的にすぎます。

  まず、審査を「効率化」する方向での難民認定制度の改定では、たとえこれによって「偽装申請」をある程度は排除できるのだとしても、すでに述べたとおり、難民に該当するはずの申請者をとりこぼす危険性も増大させます。

  そもそも、難民の保護をかかげ、難民認定制度をとる以上、これによって国の送還業務が一定の制約を受けることになるのは当然です。出入国管理上の関心のみにもとづいて送還がおこなわれるようでは、難民は保護されないのですから。難民保護の要請には、本質的に国家の送還業務と矛盾し、これを制約する面が存在するのだということを認識しなければなりません。

  難民の保護は、人権・人道上の観点から必要・重要なのはもちろん、国際的な約束にもとづいて国に課せられた義務でもあります。国家主権としての出入国管理行政がこれによって一定の制約を受けるのは、当然なのです。入管にとって思うように送還業務がすすめられないという現状を、難民審査の「効率化」によって打開しようとするのは、難民の保護という要請をますますないがしろにすることにほかなりません。

  そして、そもそもそのような現状がどうして生じているのかという背景をよくみる必要があります。つまり、送還業務が、入管側からみれば、いわば機能不全をきたしているという現状がなぜ生じているのか、ということです。

  これは、読売が言うところの「偽装難民」やこれを手引きする外国人に一方的に責任を転嫁すればたりるというほど単純な問題ではありません。むしろ、入管が直面している問題は、国の場当たり的な政策のツケと言うべきものです。

  日本政府は、1980年代のバブル期以来、国内産業の労働力不足をおぎなうために、脱法的な手法での外国人労働力導入策をくりかえしてきました。技能実習制度もその一例です。政府は、公式には受け入れを認めていない、いわゆる非熟練労働に従事する外国人労働者を、非公式的なかたちで導入してきたのです。このことが、次回以降くわしくみていくように、入管の送還業務に混乱と矛盾をもたらしています。

  読売の一連の報道は、この政策的な問題を掘り下げるかわりに、難民申請者の一部を「偽装難民」ときめつけ、これに一方的な責任転嫁をおこなうものになっています。こうした読売の論調は、必然的に人種差別をともなうものに行き着きます。本来は日本政府が責任を負うべき問題であり、また日本社会全体の構造的な問題でもあるはずのことがらについて、その責任を“不届きな”(と、入管および読売が世論に印象づけようとする)一部の外国人になすりつけようとするわけですから、かれらを悪魔化して描くためのレトリック・演出が必要になるのです。事実、読売の一連の記事には、実態はたんなる出稼ぎ労働者にすぎない者たちを、あたかも秩序から逸脱した、あるいは秩序を破壊する悪者であるかのように印象づけようとする、人種差別的な記述とレトリックが随所にみられます。

  こうした点を、次回、読売記事の技能実習制度と「偽装難民」をめぐる記述にみていきます。



《注》

「不法入国」について言えば、迫害のおそれがあって、あるいは実際に迫害を受けていて、出身国でパスポートの発給を受けられないような人は、正規の手段で外国に入国しようがないのです。



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