9月22日に病死したバングラデシュ人の仮放免者ムスタファ・カマルさん(42歳)。東京入管が医療放置したのち10月14日に死亡したロヒンギャ難民のアンワール・フセインさん(57歳)。最初に、ふたりの死をいたんで参加者全員で黙祷をささげ、大会をはじめました。
今年は、2月の全国仮放免者生活実態アンケート調査や5月の再審情願一斉申立を通じてメディアが仮放免者問題を取り上げてくれることが増え、また報道の内容も仮放免状態の過酷さを良く理解して書かれたものが増えました。私たちの運動が社会的に注目され、仮放免者に在留資格を求めるという運動目的が社会的理解を得てきた重要な1年でした。
一方、7月にチャーター機によるフィリピン人一斉送還がおこなわれるなど、帰国できない事情にある仮放免者および被収容者にとって、きびしくくやしさののこる年でもありました。
入管による人権侵害は私たちの仲間を増やしてくれます。実際、第4回大会参加者の特徴として、たくさんのフィリピン人仮放免者が参加しました。しかし、犠牲者が出て仲間が増えるという構造から脱却し、犠牲者を出さないために仲間が増えていく構造への転換が求められているところです。
大会ではまず、過去1年の情勢と私たちの足跡をふりかえり、あらたな1年の活動方針について討議しました。緊迫したきびしい局面はつぎの1年も続くだろうとの見通しから、会の機動性を高めるために組織のあり方を抜本的にみなおすことになりました。組織機構の改革に関連して、会則改正案・予算案・人事案が提起され、採決されました。
そのいっぽうで、会の目的を明確化・再定義することにより、会員全体の目的意識の共有をはかり、よりいっそうの団結をすすめていこうという意図から、関東仮放免者の会としての「宣言」が提案され、採択されました。
「宣言」は、大会にさきだつ2度のリーダー会議における長時間にわたる討議をつうじて文案が起草・修正され、10月27日の大会で採択されたものです。大会では、以下に掲載する日本語版と英語版を採択しましたが、今後、仮放免者それぞれが母語にしている多言語に翻訳したものをつくり、公開していく予定です。
なお、関東仮放免者の会では、一般から賛助会員をつのり、また、賛助会員にかぎらず会へのカンパをひろくおねがいすることとなりました。会の運営は、結成以来3年間、おもに仮放免者による会費と支援者の持ち出しによってなされてきました。しかし、就労の許可をみとめられず、その住居も関東地方全体にちらばっている仮放免者が相互に交流するためにも、また支援者が仮放免者のもとにおもむくにも、より多くの資金が必要です。ご協力いただけるかたは、本記事の末尾の案内をごらんください。
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宣言
2010年10月31日、仮放免者の会は結成されました。仮放免者の会は、仮放免者自身によってつくられ、仮放免者自身によって今日まで活動してきました。
仮放免者は、入管から退去強制令書発付を受け、国に帰るようにさまざまなプレッシャーをかけられ、おどされながらも、帰国できない事情がある者たちです。仮放免者の多くは、入管でのきびしく長い収容生活をおくり、しかし仲間たちとともに在留資格を手に入れて日本に残ることをえらびました。
仮放免者が帰国しない、帰国できない理由は、いろいろです。難民であること、家族が日本にいること、長く日本で暮らしてきたこと、などなど。しかし、そのようないろいろな事情のちがいをこえて、私たちは仮放免者として団結することをめざしてきました。
「仮放免者に在留資格を!」
これが、私たちが仮放免者の会をつくってから、ずっとかかげてきた目標です。たとえば「難民に在留資格を!」でもなく、あるいは「日本に家族のいる人には在留資格を!」でもありません。私たちがうったえてきたのは、「仮放免者に在留資格を!」です。
難民も難民でない者も、入管によって人間としてあつかわれてこなかった点でおなじです。また、日本に家族がいる者も、そうでない者も、入管に「人間より下の存在」としてあつかわれてきた点でおなじです。つまり、入管、日本政府は、私たち“すべて”を人間として見ていないのです。
だから、私たちは、“すべての仮放免者”としていっしょに闘ってこなければならなかったのです。難民も難民でない者も、結婚している者も結婚していない者も、刑務所に行った者もただのオーバーステイの者も、“すべての仮放免者”としての団結をめざさなければならなかったのです。
立場のちがい、事情のちがいをこえて、私たちは要求します。私たちの“すべて”を人間としてあつかえ、と。そして、この私たちの要求は、日本で暮らすすべての外国人にたいする日本政府の考え方を変えさせる、という大きな目標へとつながっていきます。
1940年代からいままで、外国人にたいする日本政府の考え方の基本は、変わっていません。それは、ひとつには「外国人には人権がない」という考え方です。もうひとつには、「外国人をどうあつかおうが、日本政府の自由だ」という考え方です。1965年に、法務省入国管理局参事官だった池上努は、自分の本で外国人は「煮て食おうが焼いて食おうが自由」だと書いています。
また、1978年には最高裁判所が、マクリーン事件判決(*1)という、事実上外国人に人権はないと言っているにひとしい判決を出しています。マクリーン事件とは、日本に住んでいたアメリカ人のロナルド・アラン・マクリーンさんがベトナム戦争に反対する活動をしたために、入管が彼の在留許可の更新をみとめなかったという事件です。マクリーンさんは、これに納得できずに裁判をおこしました。しかし、最高裁判所は、外国人の在留期間の更新をみとめるかどうかは、法務大臣が勝手にきめてよいことで、それをきめるときにその外国人の人権なんて気にしなくてもよいのだというような意味の判決を出しました。まさに、「外国人には人権がない」「外国人をどうあつかおうが、日本政府の自由だ」という日本政府の考え方を、裁判所までもがみとめたわけです。
この長くつづいてきた日本政府の考え方が変わらなければ、私たちは権利のある人間として日本で生活していくことはできません。たとえ、ある日、在留資格を認められたとしても、つぎの日には、在留資格をとりあげられるかもしれません。
だから、私たちは、「仮放免者に在留資格を!」という目標のさらにむこうに、もっと大きな目標をかかげます。すべての外国人の人権が認められる社会へと日本の社会を変えていく、ということです。そのためには、「外国人には人権がない」「外国人をどうあつかおうが、日本政府の自由だ」という日本政府の考え方を変えさせなければなりません。
この日本政府の考え方を変えさせ、日本の社会を変えるという目標に近づいていくために、私たちは、私たちより前に日本にやってきた外国人たちの長い闘いの歴史と経験から多くのことをまなぶことができます。権利をかちとるために闘ってきた彼ら・彼女らの歴史は私たちに勇気をあたえ、その経験は私たちに力をあたえてくれます。そして、私たちもおなじように日本政府の考え方と日本の社会を変えるための闘いをつづけることで、私たちの子どもたちや、私たちより後に日本にやってくる外国人たちに、財産をのこすことができるでしょう。また、外国人を差別しない社会をつくっていくことは、人間どうしの平等で自由な関係をのぞむ日本人たちにとってもよいことであると信じます。
入管、日本政府は、私たちを人間としてあつかってきませんでした。しかし、私たちは、それぞれの事情や立場、あるいは国籍や人種や民族、思想信条や宗教、性別や性的指向などをこえて平等な人間として認めあうことができるはずです。そうしておたがいを平等な人間として認めあい、私たちのなかにある差別とも闘いながら、入管や日本政府、また日本社会にむかって主張していきます。「私たちには人権がある。私たちがここにいるのは私たちの権利である」と。
2013年10月27日 東京板橋にて
仮放免者の会(PRAJ)一同
注釈
*1 マクリーン事件判決
長くなりますが、マクリーン事件判決から引用します。
思うに、憲法第3章の諸規定による基本的人権の保障は、権利の性質上日本国民のみをその対象としていると解されるものを除き、わが国に在留する外国人に対しても等しく及ぶものと解すべきであり、政治活動の自由についても、わが国の政治的意思決定又はその実施に影響を及ぼす活動等外国人の地位にかんがみこれを認めることが相当でないと解されるものを除き、その保障が及ぶものと解するのが、相当である。しかしながら、前述のように、外国人の在留の許否は国の裁量にゆだねられ、わが国に在留する外国人は、憲法上わが国に在留する権利ないし引き続き在留することを要求することができる権利を保障されているものではなく、ただ、出入国管理令上法務大臣がその裁量により更新を適当と認めるに足りる相当の理由があると判断する場合に限り在留期間の更新を受けることができる地位を与えられているにすぎないものであり、したがつて、外国人に対する憲法の基本的人権の保障は、右のような外国人在留制度のわく内で与えられているにすぎないものと解するのが相当であつて、在留の許否を決する国の裁量を拘束するまでの保障、すなわち、在留期間中の憲法の基本的人権の保障を受ける行為を在留期間の更新の際に消極的な事情としてしんしやくされないことまでの保障が与えられているものと解することはできない。在留中の外国人の行為が合憲合法な場合でも、法務大臣がその行為を当不当の面から日本国にとつて好ましいものとはいえないと評価し、また、右行為から将来当該外国人が日本国の利益を害する行為を行うおそれがある者であると推認することは、右行為が上記のような意味において憲法の保障を受けるものであるからといつてなんら妨げられるものではない。
いま引用したところでこの判決が言っているのは、おおむねつぎのようなことです。
- 日本国憲法にさだめられている基本的人権は、日本に住んでいる外国人にも保障される。政治活動の自由についても、おなじく外国人にも保障される。しかし、外国人が日本に住んでよいかどうかは、法務大臣が自由にきめてよい。
- したがって、外国人の基本的人権は、日本の外国人在留制度のわくのなかであたえられているにすぎない(つまり、外国人に在留資格をみとめるかみとめないかについての日本政府の判断は、基本的人権を保障した憲法のわくをこえた、その外側でなされるものである)。
- 日本に住んでいる外国人の在留資格の更新を認めるかどうかを判断するときに、日本政府は、基本的人権についてさだめた日本国憲法の条文を気にしなくてよい。
- 日本に住んでいる外国人が日本の憲法や法律をまもっていたとしても、法務大臣は、その外国人が「日本にとってよくない」「日本の利益をそこなうかもしれない」と考えるならば、法務大臣がそう考えたということを理由にして、その外国人の在留期間の更新を認めなくてもよい。その場合、法務大臣はその外国人の人権なんて気にしなくてよい。
この判決は、憲法は外国人の基本的人権を保障しているとも一応は言っています。しかし、外国人の在留期間の更新をみとめるかどうかについて、法務大臣の判断の自由をとても広くみとめています。“法務大臣の考え方しだいで、外国人の在留資格をみとめてもよいし、みとめなくてもよい。法務大臣がそれを判断するにあたって、日本国憲法の基本的人権の保障をさだめた条文にとらわれなくてもよい”と言っているわけです。これは、日本国憲法が保障している人権は、日本人だけのもので、外国人にはないのだ、と言っているのとおなじことです。
この、法務大臣の自由、権限をとても広くみとめた1978年の判決は、いまの裁判でも入管がしょっちゅう引用しています。
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The Provisional Release Association in Japan was founded on October 31, 2010. It was created by us, the people those on provisional release themselves, and has been run by ourselves since then.
Those on provisional release are people who have received a deportation order from the immigration authorities, are under various pressure and threats, but have reasons why we cannot go home. Most of us were detained at the immigration detention centers for a long time under harsh conditions, but chose to obtain a resident status and remain in Japan.?
There are many reasons why we will not or cannot go home. Some of us are refugees, and some have a family in Japan, and others have lived in Japan for a long time. And yet beyond such differences of reasons, we have sought to unite as people on provisional release.
“Resident Status for those on Provisional Release!”
This is the goal we have upheld since we founded the Provisional Release Association in Japan. It is not “resident status for refugees” or “resident status for those with a family in Japan,” for example. It is “resident status for those on provisional release” that we have been calling for.
Refugees and non-refugees are the same in that they have not been treated as human beings by the immigration authorities. Also, those who have a family and those who do not are the same in that they have been treated as “presence below the human” by the immigration authorities. Another word, the immigration authorities and the Japanese government do not see us all as human beings.
That is why we have had to fight as “all on provisional release.” We have had to seek unification as “all on provisional release” including refugees and non-refugees, married and unmarried people, those who were in prison, and those who merely overstayed.
Beyond differences in positions and circumstances, we claim that we all be treated as human beings. Furthermore, our demands lead to a larger goal to change the attitudes of Japanese government toward all foreigners in Japan.
Since the 1940s, the core of the attitudes of the Japanese government toward foreigners has not changed. It is the view that “foreigners do not have human rights,” and “it is up to the Japanese government no matter how they treat foreigners.” In 1965, Tsutomu Ikegami, a counselor of the Immigration Bureau of the Ministry of Justice, stated in his book that “we can do whatever we please with them.”
In 1978, the Supreme Court also made a decision on the McLean case(*1), which is equal to saying that foreigners do not have human rights in effect. It is the case that Mr. Ronald Alan McLean, an American national living in Japan, was refused to renew the permission to stay because he was involved in anti-Vietnam War activities. Mr. McLean, unsatisfied with the decision, filed a lawsuit. The Supreme Court, however, ruled that it leaves to the discretion of the Minister of Justice whether or not to grant a renewal of a foreigner’s period of stay, and the minister does not need to consider the foreigner’s human rights when he makes decisions. Quite simply, the court also accepted the Japanese government’s view that “foreigners do not have human rights” and that “it is up to the Japanese government no matter how they treat foreigners.”
Unless these long-lasting attitudes of the Japanese government change, we cannot live in Japan as human beings with rights. Even if we are granted a resident status one day, it may be taken away on the following day.
Therefore, we have a larger goal beyond “resident status for those on provisional release,” which is, “we seek to change the Japanese society into the one in which human rights of all foreigners are respected.” In order to achieve this goal, we need to change the government’s view that “foreigners do not have human rights” and that “it is up to the Japanese government no matter how they treat foreigners.”
Now, to change the government’s views and the Japanese society as well, we can learn various things from the long history of struggles experienced by the foreigners who came to Japan before us. The history of their struggles to win the rights gives us courage, and their experiences give us strength. As we continue fighting to change as our predecessor did, we will be able to leave assets to our children and others coming after us. We also believe that it is good even for Japanese who hope to have an equal and free relationship with others as human to create a society without any discrimination against foreigners .
It is true that the immigration authorities and the Japanese government have not treated us as human beings. Beyond those differences in circumstances, positions, nationality, race, ethnicity, ideology/beliefs, religion, sex, and sexual orientations, however, we should be able to acknowledge each other as equal human beings. Therefore, while acknowledging each other as equal human beings and fighting against any thoughts and attitudes of discrimination within ourselves, we argue toward the immigration authorities, the Japanese government, and the Japanese society that “we have human rights. It is our rights to be here.”
October 27, 2013.Itabashi, Tokyo.Members of the Provisional Release Association in Japan
Note
1. The ruling of the Mclean case
Let us quote from the ruling of the Mclean case at length:
It should be understood that the guarantee of fundamental rights included in Chapter Three of the Constitution extends also to foreign nationals staying in Japan except for those rights, which by their nature, are understood to address Japanese nationals only. This applies to political activities, except for those activities which are considered to be inappropriate by taking into account the status of the person as a foreign national, such as activities which have influence on the political decision-making and its implementation in Japan. However, as mentioned above, permission of sojourn of foreign nationals in Japan is left to the discretion of the state. Foreign nationals staying in Japan are not guaranteed the right to stay in Japan or request to continue to stay in Japan under the Constitution, and merely granted a status by which they can have the period of stay renewed only when the Minister of Justice, by his discretion, determines that there is a "reasonable ground to acknowledge that the renewal of the period of sojourn is appropriate." Guarantee of fundamental rights to foreign nationals by the Constitution should be understood to be granted only within the scope of such a system of the sojourn of foreign nationals and does not extend so far as to bind the exercise of discretionary power of the state, i.e. does not include guarantee that acts which are guaranteed as fundamental human rights under the Constitution during the sojourn should not be considered as negative circumstances in renewing the term of sojourn. Even if the activities of a foreign national are constitutional and lawful, the Minister of Justice is by no means hindered from assessing those activities as undesirable in terms of appropriateness for Japan, and from assuming from such activities that this foreign national may act against the interest of Japan, despite the fact that such activities of the foreign national are guaranteed by the Constitution in the above sense.
What the ruling says here is basically the following:
- Foreigners in Japan are guaranteed the basic human rights in the Japanese Constitution. Political freedom is also guaranteed for foreigners.
- However, the Minister of Justice gets to decide whether a foreigner can stay in Japan.
- Therefore, the basic human rights for foreigners are merely granted within the frameworks of the visa system (that is, the decision of the Japanese government of whether to grant a resident status for a foreigner is made outside the Constitution, which guarantees the basic human rights).
- The Japanese government does not have to consider the articles of the Constitution on the basic human rights when they decide whether to grant a renewal of the resident status of a foreigner living in Japan.
- The Minister of Justice can refuse to renew the period of stay of a foreigner living in Japan even if he or she obeys the Constitution and the laws of Japan, if the Minister thinks that he or she is “not good for Japan” or “may hurt the interests of Japan.” In such cases, the Minister of Justice does not have to consider the human rights of the foreigner.
In a fashion, this ruling states that the constitution guarantees the basic human rights for foreigners. However, it recognized the discretion of the Minister of Justice very broadly as to whether he grants the renewal of the period of stay of a foreigner. It basically says that the Minister of Justice can choose to grant or not to grant a resident status for a foreigner at his will, and that he is not bound by the articles of the Constitution which guarantees the basic human rights when he decides.” This is equal to saying the human rights guaranteed by the Constitution are only for Japanese, not for foreigners.
The ruling of 1978, which recognized the discretion and authority very broadly, is often cited by the immigration in courts.
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賛助会員のご案内
関東仮放免者の会では、あらたに賛助会員の制度をもうけることにしました。賛助会員は、月一口500円の賛助会費を支払うことで、どなたでもなることができます。なお、賛助会費は何口でも支払うことができます。
上の「宣言」や当ブログで報告している会の活動にご賛同いただけるかたは、賛助会員としてご協力いただけるとさいわいです。下記のメールアドレスまでご連絡ください。
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これまでも、被収容者のハンストのおり、また、重病の仮放免者のために、私どものカンパの呼びかけにたいし、たくさんのかたがあたたかく応じてくだりました。また、定期的にカンパをふりこんでくださるかたもいらっしゃいます。みなさんのご協力にこれまでもささえられながら、当会は活動してきました。私たちとしても、支援してくださるみなさんのご期待を裏切らないよう、今後とも奮闘していく所存です。
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