PRAJ (Provisional Release Association in Japan): Who We Are
in English
日本語(漢字かなまじり)
にほんご(ひらがな・カタカナ)


関東仮放免者の会「宣言」/賛助会員募集とカンパのおねがい

http://praj-praj.blogspot.jp/2013/12/blog-post.html


仮放免者の会 ホームページ

Thursday, September 17, 2015

9月9日、「仮放免者に在留資格を!」デモ報告




  9月9日(水)15時から、法務省入国管理局に対して仮放免者に在留資格の付与を求めるデモ行進と申入れをおこないました。翌10日には茨城県で堤防の決壊などの大災害をもたらした大雨の中でのデモですが、120人の参加を得て決行されました。



  当日、集合場所である日比谷公園(東京都千代田区)では、雨は降ったりやんだり、一時、やんだかと思えばまた強く降り出したりしていた。会員が住む関東全域が同様の状況であり、朝の内から、出身国別に選出されたリーダーや支援者のもとに、特に北関東エリアの会員から、「今日は電車がどうなるかわからないから行けない」と電話が次々と入ってきた。雨に濡れた体で、帰宅も困難になり風邪をひけば、国民健康保険に加入できず受診費用に事欠く仮放免者からしたら死活問題である。東京都以外に居住する会員は、デモに参加するため、東京入管、横浜入管に事前に申請して一時旅行許可を得て、自分達への在留資格を求めるこの日のデモを待ち望んでいたが、この悪天候では参加をあきらめざるを得ない。集合時刻の14時30分になっても、集まっているのは50人弱。主催者側としても、今日はこの程度の数でもしかたないかと話し合っていた。しかし、15時前にデモ出発地点である日比谷公園中幸門で隊列を組んでいると、次々と会員が合流してきた。さらに新橋駅近くから外堀通りと、道行く人たちに仮放免者問題(※)への理解を訴えて行進していると、遅れて来た仲間たちが合流してくる。最終的に、法務省を一周するころには参加者120名となっていた。うち、支援者30名ほど、会員90名ほどである。

  会員の参加者は東京や隣接県に住む人が多かったが、北関東から「今日は大事な日だから」「自分たちの事だから」と参加してくる会員もいた。長い収容生活で体調を崩し、やっと数日前に仮放免となった人も「筋肉が落ちていて最後まで歩けるか自信がないけどやってみる」と加わった。幼児を抱きかかえて行進する母子の仮放免者、雨合羽を着た児童の手を引き行進する家族連れの仮放免者、みんなで助け合いながら、声を限りに「長期収容やめろ」「再収容やめろ」「無理やり(送還)するな」「チャーター機(送還)するな」「難民にビザを」「家族にビザを」「仮放免者にビザを」などとシュプレヒコールを叫ぶ。

  会員の国籍は、アジア・アフリカ・ラテンアメリカ諸国にまたがり、在留理由は、難民であったり、家族結合であったり、長期滞在であったり様々。しかしみんなに一致しているのは、オーバーステイなどで入管法違反者となり、退去強制令書を発付され、長期収容に耐え、仮放免後の不自由な生活にも耐えてきていることである。理由はさまざまであるが、いずれも帰国できない事情を抱えているからこそ、長期収容にも耐えてきたのである。

  仮放免者に在留資格を求める私たちの主張に対して、入管職員から、「退去強制令書発付処分に服して帰国する人もいるのに、耐えたから在留資格をもらえるというのでは『耐え得』になるから」と言われたこともある。しかし、収容生活の過酷さは、現場の職員ならばよくわかっているはずである。密閉された狭い居室に多国籍の者たちが押し込まれ、病気になってもなかなか治療してもらえず、いつ出られるともしれない中、不安にさいなまれながら一日一日を過ごしていく。仮放免になっても、移動・就労の自由を奪われ、社会保障制度の枠外に置かれ、病院に行けないまま亡くなった仲間もいる。単なる処遇の運用の問題というよりも入管収容所という施設そのもの、そして仮放免者という立場そのものが、「耐え得」など狙えない、人権を無視されたものである。そういう年月を過ごしてきた会員たちが、積もり積もった万感の思いを込めて、コールを叫ぶ。


  デモ行進の前半、雨は小降りになり、やんだ時間もあったが、後半になるとまた土砂降り。そんな中、デモ隊は主目的である法務省に到着した。リーダーと支援者の代表が法務省入管に申入書を渡す。いやがうえにも、みんなの気持ちは最高潮に達する。雨に濡れる体が熱気を帯びて「ビザ!ビザ!ビザ!」の連呼。法務省を一周する間、苦しかった収容生活が思い起こされ、治療を受けられないまま亡くなっていた仲間が思い起こされ、憤りと在留資格への期待が入り混じるなか、コールをとどろかせた。


  そして、裁判所の角を左折し、日比谷公園霞門から入ってデモ行進を終了し、悪条件の中、多数の仲間が集まって目的を達成できたことを確認した。そして、次は10月18日の第6回大会での再会を確認して解散した。

  仙台の大学生が10名以上、支援で参加してくれ、支援者も30人と悪天候の割に多く集まった。支援者は日本人のほか、正規滞在の外国人、中には、自分も退令発付を受けて長期収容に苦しめられ、仮放免生活も送り、在留資格を得た仲間も参加してくれた。

  会員の参加者も、自分は行くにしても、この雨だから参加者は少ないだろうと予測していたところ、思いのほか多数の仲間が参加し、また支援者も多く、仮放免者の会の団結した力、またそれに対する支援者の力を感じ取ることができた。「雨で心配したけど、こんなに集まってよかった」「支援者がたくさんいて心強かった」「みんなにビザが出るまであきらめない」などなど、参加した会員の感想が寄せられている。

  メディアは、ロイター、週刊金曜日などが取材に来てくれたので、そちらの記事も読んでください。


  また、この日、法務省に提出した申入書は、以下の記事に掲載しています。













~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

※仮放免者問題の深刻化

  仮放免者は、難民申請や再審情願申立などで在留資格を求める手続きをしている。帰国できないために長期収容にも耐えるしかなく、仮放免後に、帰国できるように事情が変わった者は帰国するが、そうでなければいつまででも仮放免生活を耐え忍ぶしかない。しかし、在留資格がないため極めて不安定な生活状況におかれる。本人たちの人権のためにも、また社会的状況としても、仮放免と言うグレーな状況は最大限、避けるべきである。しかし、私たちが「仮放免問題の解決」を求めるのは、当事者一人ひとりの人権擁護のためであると同時に、「仮放免者数の増大と仮放免期間の長期化」という事象が近年、深刻化しているからである。

  2004年以降、警察も含めて全国的にオーバーステイなどの摘発が強化された(この摘発強化は、日本の入管行政・労働行政の方針転換、すなわち、それまで「不法滞在外国人」を脱法的に労働力として利用するものから、彼ら彼女らを摘発して追い出すかわりにこれを派遣労働者に置き換えていくという方針への転換として理解することができる。「仮放免者問題と強制送還について――この10年の入管行政をふりかえって」を参照)。それに連れて退去強制令書の発付件数も増えた。しかし、そのなかで、実は難民として日本に逃れて来ていた者、すでに日本人などと婚姻していた者、とっくに生活基盤を本国から日本に移していて帰国しても生活できない者などが、長期収容者として増大し、さらにそれらの者が、心身を極度に衰弱させ、仮放免となることにより、仮放免者が増大してきた。現在公表されている退令仮放免者総数で最も古い統計は、2006年末の631人であり、すでに大量摘発が始まり、被収容者数も仮放免者数も増大する中での数字である。これが2008年末には1,000人を超え、2011年末には2,000人を超え、2013年末には3,000人を超え、激増している。

  また、東海地区、関西地区とも協力して全国仮放免者の会として、2013年2月に全国一斉調査を行ったところ、仮放免期間について520名の回答を得た(「2013年仮放免者実態調査報告」を参照)。この数字は、当時の退令仮放免者の約5分の1である。仮放免期間について1年区切りで聞いたところ、1年未満が最も多く175人、1年以上が149人、2年以上が134人と多く、ここまでで全回答者の88%を占めた。3年以上は26人と急に少なくなり、最長は8年以上の5人であった。当時であっても5年以上が合計27人おり、信じがたい状況であったが、当時2年以上だった134名は次々と仮放免期間5年にさしかかっているところである。実際、関東で仮放免者の会を結成した2010年10月、この年に仮放免になった者を主体として結成大会をおこない、その後も、この層が運動を主力としてリードしてきた。帰国した者もいるし在留資格を得た者もいる。しかしそれらは極少数であり、大半の会員は仮放免生活を続けている。仮放免期間は1年であっても短いとは言えないが、5年を超過するなど誰がどう見ても異常な長期間である。会員ではないが、脳に直径8cmもの腫瘍ができながら病院に行くお金がなく、痛みをこらえながら死亡した仮放免者もいた。仮放免期間の長期化は、こうした悲劇をも再来させかねない。また、全国一斉調査において3年以上が極端に少なくなっていたのは、2009年から10年にかけて頻発していた再収容の影響もある。調査では、最後の仮放免許可からの期間を質問したが、一度目の仮放免許可からの期間を質問すれば、仮放免期間はもっと長いものとなったはずである。

  私たちが法務省入管に求めているのは、長期収容にも耐えざるを得なかった退令仮放免者には、人権擁護の観点から在留を認めてもらいたいということである。こうした退令仮放免者たちに順次在留を認めていくことは、現行の法制度下でも可能なはずである。法務省入管が、人権擁護あるいは人道上の観点に立って被退令発付者を在留特別許可によって救済してきた前例・実績も一定程度すでにある。退令仮放免者の在留を正規化していく以外に、この仮放免者問題を解決する道はない。

No comments:

Post a Comment