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Wednesday, March 11, 2015

なぜ入管の収容施設で死亡事件があいつぐのか?――医療処遇について仮放免者の会の見解


1  あいつぐ死亡事件

  入管の収容施設において、被収容者が病死する事件があいついでいます。1年あまりのあいだに4人もの死亡者を出すというきわめて異常な事態です。


  • 2013年10月14日  ロヒンギャ難民フセインさん死亡(東京入国管理局)
  • 2014年3月29日  イラン人Sさん死亡(東日本入国管理センター)
  • 2014年3月30日  カメルーン人Wさん死亡(東日本入国管理センター)
  • 2014年11月22日  スリランカ人ニクルスさん死亡(東京入国管理局)


  法務省入国管理局は、このうち東日本入国管理センターでの2件の死亡事件(昨年3月末にイラン人とカメルーン人が死亡)について、11月20日に記者会見をひらき、調査結果と改善策を発表しました。この法務省入管の報道発表の2日後、11月22日、こんどは東京入国管理局でまた死亡事件がおこりました。

  法務省入管は、東日本センターでの2件の死亡事件のうち、イラン人の死亡については「入国警備官らの措置は適切であった」と結論づけています(注1)。一方、カメルーン人の死亡については、法務省はセンター側の措置と医療態勢の問題点をみとめており、「改善すべき点」をいくつかあげています。ところが、あとで述べるように、報道発表で示された改善策をみるに、法務省入管の問題認識はあまりに甘すぎると言わざるをえません。

  私たちは、このたび死亡者を出した東日本センター、東京入管はもとより、東京入管横浜支局、大阪入管、名古屋入管等、どの収容施設でも、いつ被収容者の死亡事件が起きても不思議ではない状況にあるものと認識しています。入管の収容施設の医療についての根本的な欠陥の所在を、この間つづいた一連の死亡事件はあきらかにしています。これに手を打たないかぎり、第5、第6の死亡事件を今後ふせぐことはできないでしょう。




2  医療処遇の根本的欠陥

  仮放免者の会としては、一連の死亡事件をうけて、入管収容施設における医療処遇の根本的な欠陥として、以下の2点を重視しています。第1に、医師ではない職員による医療判断が横行していること。2点目は、医師の独立性が確保されず、その診療行為に入管が介入し、不当な制約をくわえていることです。


2-1 職員による医療判断がおこなわれていること

  昨年11月22日の東京入管でのニクルスさん死亡事件においては、心臓の痛みを訴え、病院への搬送を求めるニクルスさんに対し、職員が「立ってるし、歩けるから大丈夫じゃないの」と言ったとの同室の被収容者による証言があります。医者ではない職員が、ニクルスさんの病状について「大丈夫」だとの医療的な評価をおこない、病院に搬送する必要はないという判断をおこなったことになります。

  2013年10月9日にやはり東京入管でミャンマーのロヒンギャ難民、アンワール・フセインさんが倒れ、搬送先の病院で10月14日に死亡した事件についても、同室の被収容者による同様の証言があります。職員は、嘔吐し体を痙攣(けいれん)させているフセインさんについて、「癲癇(てんかん)なので大丈夫」だと発言したといいます。結果的に、職員がフセインさんの居室に到着してからおよそ50分のあいだ救急車は呼ばれず、フセインさんは5日後に「動脈瘤破裂によるくも膜下出血」のため病院で亡くなりました。

  職員によって「立ってるし、歩けるから大丈夫じゃないの」「癲癇(てんかん)なので大丈夫」といった発言があった事実を、東京入管はみとめていません。しかし、百歩ゆずって、こうした発言がなかったのだとしても、2件の死亡事件において、「病院に搬送する必要はない」との判断を職員がおこなったという事実は疑いようのないことです。

  そして、被収容者に診療を受けさせる必要があるかどうか、病院に搬送する必要があるかどうかの評価・判断を、医療の専門家ではない職員が勝手にくだしているのは、死亡事件のあいついだ東京入管・東日本センター両施設にかぎったことではありません。本人の訴え・要求をさしおいて、職員が勝手な医療判断をおこなって診療や病院への搬送を拒否するということは、入管のどの収容施設でも横行し常態となっているのが現状です。

  したがって、一連の死亡事件は、偶発的な「事故」ではなく、入管の収容のあり方がまねいた必然的な結果、起こるべきして起こった結果であるというべきです。また、職員による医療判断が横行している現状では、今後、死亡事件が入管のどの施設で起こっても不思議ではありません。


2-2  医師の診療行為への入管による介入

  入管の医療処遇の根本的欠陥としては、医師の独立性が確保されていないという点も指摘しなければなりません。施設内の診療室での診療においても、外部診療機関での診療においても、入管が医師の診療行為に介入し、これを制限するという事例がしばしばみられます。

  たとえば、大阪入管では、外部診療において医師が患者にMRI検査をすすめたにもかかわらず、同行した職員が「(費用が)高い」からと言ってこれをさまたげた事例があります(注2)。東日本センターにおいても、外部診療で、職員が医師に「先生、この人はもうすぐ帰国する人ですから」などと口をはさみ、継続性をもった治療をさせないよう介入したという多数の事例について、被収容者たちによる証言があります(注3)

  本来、医師は、患者の意思にもとづいて、その医療上の最善の利益を追求する責任を負います。医師が患者に対する責任を果たすためには、医者と患者の関係に入管が介入しないこと、すなわち医師の独立性を確保することが必要です。(医療法第一条の二  「医療は、生命の尊重と個人の尊厳の保持を旨とし、医師、歯科医師、薬剤師、看護師その他の医療の担い手と医療を受ける者との信頼関係に基づき、及び医療を受ける者の心身の状況に応じて行われるとともに、その内容は、単に治療のみならず、疾病の予防のための措置及びリハビリテーションを含む良質かつ適切なものでなければならない。」)

  医師が患者に負っている責任をはたすことと、入管の退去強制令書を発付し、執行するという業務とは、たがいに対立する局面があることは否定できません。やや極端な言い方をすれば、入管には、被収容者に適切な医療を提供せずに苦痛を与えるというインセンティブが存在します。収容生活がたえがたいものになるほど、被収容者が退去強制令書に服して送還に応じる可能性は高くなるからです。個々の職員の主観的な意識がどうであれ、組織としての入管には、医療処遇を劣悪・貧弱なままにとどめておく動機が客観的に存在します。

  当然ながら、優先的に尊重すべきなのは、入管の退去強制手続きにかかわる業務ではなく、被収容者の生命と健康です。入管の職務遂行が、患者の医療上の利益を追求すべき医師の職務と対立・矛盾する局面が存在しうる以上、被収容者の生命・健康をまもるためには、医師の独立性を確保し、医師と患者の関係に入管が介入することをふせぐ仕組みが不可欠です。




3  法務省の改善策では再発をふせぐことはできない

  さきに述べたように、法務省入管はカメルーン人の死亡については、東日本センターの対応に問題があったことをみとめています。しかし、法務省入管が具体的にあげている改善すべき課題をみると、その問題認識が十分なものとは、とうてい言えません。

  法務省入管は、「改善すべき点」として第1に、常勤医の確保に向けた努力を継続するとしています。第2に、重症事案の見落としを防止できるよう、診療申出から受診までの手続き・手順を見直すとしています。

  まずは2点目から検討していきます。

  「診療申出」というのは、被収容者が職員に対し、診療をもとめることです。法務省入管が「見直す」と言っているのは、被収容者が職員に診療をもとめ、職員が診療の要不要を評価し、受診が必要だと判断すれば、そこではじめて医師のもとに連れて行く、という一連の手続き・手順についてです。被収容者の「診療申出」に対して入管職員が許可を出さないかぎり、「受診」できないという仕組みそのものは、問題にされていないのです。つまり、法務省入管の改善策では、診療が必要か不要かという医療的な評価・判断を、職員にさせる、ということは前提になっているわけです。

  しかし、まさにこの、医療的な評価・判断を、医療の専門的知識・技能のない職員にゆだねてきたという点こそ、重大な問題だというべきなのです。職員が診療の可否を判断しているという仕組みそのものを根本的にあらためずに、その「手続き・手順」をいじっただけで「重症事案の見落としを防止」できるかのように考えている法務省入管の認識は、まったくまとを外したものと言うほかありません。医療従事者ではない職員に「見落としの防止」を要求するのは、限界があります。職員に能力をこえた職務を課している仕組みと、この仕組みの存続を現在までゆるしてきた入管の組織こそ、その問題を問われるべきなのです。

  法務省入管が「改善すべき点」としている常勤医の確保についても、これによって被収容者の生命・健康におけるリスクが大きく改善されるとは考えられません。常勤医がいても、受診にいたるまでのプロセスに職員が介在してその可否を判断するということでは、「重症事案の見落とし」が起きるのは必然的であるからです。

  また、常勤医が確保されたとしても、その医師の独立性が確保されないのであれば、根本的な改善はみこめません。入管が、医師と患者との関係に介入し、患者に対して医師が責任をもって診療にあたるのを妨害するようでは、常勤医がいても意味がありません。そのような環境では、医師は、患者に対して誠実に責任を果たせないことに苦悩して辞職するか、あるいは、入管との癒着関係に適応して医師としての職業倫理をなげうって勤務をつづけるか、ということになるでしょう。

  非常勤の医師ですが、入管と癒着して職業倫理をなげうった例を、大阪入管の医師にみることができます。この医師は患者にむかって「なおそうと思ったら手術が必要」と言いながら、「ここではむり、治らない」と言い放ち、外部の専門医につなぐことすらしていません(注4)




4  死亡事件の再発をふせぐために――改善すべき4項目

  以上をふまえて、当会としては、つぎの4点を改善すべき課題であると考えます。


(1)医師でない者、入管職員が被収容者の病状について判断し、予断にもとづく対応をしてはならない。

(2)各収容施設に勤務する医師が医道に基づいて良質かつ適切な医療をほどこせるよう、医師の独立性を尊重し、その診療を制約させるような介入をしてはならない。

(3)医師にはそれぞれの専門性、すなわち能力の限界がある。また収容施設内の診療機器・薬剤などの制約がある。そのため、医師が患者への責任を負ううえで、しばしば外部病院の専門科・専門医による受診の必要性があるとの判断が出る。その場合、速やかに被収容者(患者)を外部受診させなければならない。

(4)以上のために必要な予算を確保すること。



  (1)は、東京入管での2件の死亡事故の教訓から、急患発生時に医師不在であれば救急搬送することも含みます。

  (1)~(4)ができないならば、被収容者の健康、生命を守る責任を入管は果たすことができないということです。その責任を果たせない以上、入管は人を収容する資格がありません。

  私たちがもとめているこれら4項目は、ごくごくあたり前のことがらであるはずです。こうしたあたり前の処遇が入管の施設ではこれまで実現されてこなかったし、死亡事件を受けての法務省入管の調査にもとづいて発表された「改善すべき点」においてすら示されていません。そこには、入管組織の深刻な外国人差別・人種差別の体質があるのではないかと考えざるをえません。


◇      ◇      ◇      ◇      ◇      ◇      ◇

【注】

1.この「適切であった」という法務省入管の評価は、当会として、とうてい容認できるものではないことを、1月に法務大臣らにあてて提出した申入書において述べた。


2.【転載】大阪入管への申し入れ


3.外部診療機関の医師に対してしばしばなされているという東日本センター職員による「この人はもうすぐ帰国する人ですから」といった発言は、同センター被収容者の実態に合ったものではない。同センターの被収容者は、すでに退去強制令書が発付されているとはいえ、その多くは退去強制令書発付処分を不服として行政訴訟をおこなっているか、難民認定を申請している。そうでなくても、収容期間が1年をこえるのが通例になっており、2年をこえる者もめずらしくない。同センター被収容者の大多数において、「もうすぐ帰国する」から、継続的な治療ができない、またそれが必要でないと言えるような状況にはない。


4.【転載】大阪入管 に支援5団体が申入書「死亡者がいつ出ても不思議 ではない危機的な状況」


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